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異国の大統領宮殿で”寝っ転がる”お姉さん

アフガニスタン大統領宮殿で撮った一枚の写真


見出しの写真。ここは大学のキャンパスではない。2004年、アフガニスタンの首都カブールの大統領宮殿だ。

タリバンのカブール陥落以来、過去のアフガニスタン滞在の記憶を呼び起こし続けている。きょうも、その続きにお付き合いいただければ、とても嬉しい。

まず最初に前置きをしておくと、私は、「○○人は〜」と一括りに(特に批判を)するのは、最もいけない発想の仕方、物の言い方だと思っている。他国の否定や自国の肯定を、こういう単純な言葉で、鬼の首を取ったように話すことには、強い不快感を覚える。また「メディアは〜」などと、一つの業種を一括りにして叩くことも同様だ。

世界の要人を待つ場で

さて、写真の話に戻ろう。ここは、カブールの大統領宮殿。
何度もセキュリティーチェックを通り抜けた国内外の多数のメディアが、ある主役の2人の到着を今や遅しと待っていた。アフガニスタン国内のメディアは数少ないから、このうちの多くが、現地のスタッフが撮影している国外メディアだろうか。

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しかし、もう予定を2時間以上?過ぎている。私は尿意を催してきたが、トイレに行くことは許されない状況。皆の疲れもピークに。しかし、辛抱強く待つしかない。

なにせ、こんな怖い人が建物の上の何箇所かに配置されていて、銃口がいつでもこちらに向けられる状態だから・・・アメリカの警備会社の人だろうか。

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と、その時・・・・

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いきなり、寝っ転がったジーンズ女性


ジーンズ姿のお姉さんが、いきなり芝生に寝っ転がってくつろぎ始めた!
アメリカのテレビ局の人のようだ。そして、おそらくアメリカ大使館のスタッフと思われる女性と、英語で談笑を続けている。

まるでカリフォルニアの大学のキャンパスかのような、のどかな風景だ。---後ろに並んでいる儀仗兵がいなければ。そして、この目の前に並ぶ(上の写真の)世界中のメディアの人がいなければ・・・

この風景は、2人の主役がまもなく来るという知らせが入り、あわてて彼女が立ち上がる瞬間まで、堂々と繰り広げられていた。

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2人の主役とは、そう、懐かしい顔ぶれ。カルザイ暫定大統領(当時)と、米国のコーリン・パウエル国務長官(当時)だ。彼らの会談後の記者会見だ。

こんな緊張する場で、さっき見た、寝転ぶジーンズのお姉さん。その違和感、不快感を残しておきたいと思ったので、失礼ながら、本能的に、小さなデジカメでこっそりシャッターを押したのだった。

新年”ナウローズ”を祝う式典でも・・・


そして、その数日後、また、こっそりシャッターを押してしまう機会があった。
アフガニスタンの新年「ナウローズ」を祝う式典の日。

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さあ、式典が始まる。アフガニスタンの国家が流れ始めた。

私たち外国人は、胸に手をあてることはないが、私は、やはりよその国にお邪魔している立場であり、失礼のないよう、立って前に手を組んでじっと歌に耳を傾けていた。へええ、こういう国歌なのかあ。

周りにいる他の外国人メディアも同様に・・・と、あれっ・・・

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寝っ転がってペーパーバック読むおじさん


おじさんが、芝生に寝っ転がって、ペーパーバックを読んでる!
どうも、アメリカのメディアの撮影スタッフのようだった。

最初に書いたように、この2つの例をもって、「○○人は〜」「○○人の**(職業名)は〜」と言うのは、絶対にやめようと思う。カブールでも、この2人と同じ国のメディアの人で、リスペクトすべき人たちを何人か見てきた。逆に、日本人だってどんなもんだか、はっきり言って、自信がない。

頻繁に感じた違和感・嫌悪感


しかし実は、アフガニスタンにいて、この2つの例と同じような違和感を持ったことが、かなりあったのだった。そして、彼らは、何の悪気もないように思えた。積極的にアフガニスタンを馬鹿にしているわけでもなく、何も考えていないというか。

いや、でも無意識にしろ、やっぱりなめているのかもしれない。もし米国大統領の会見前に、ホワイトハウスで外国人が寝っ転がったら、どうなるだろう。そしてこういう人たちは、他の先進国の大統領官邸で同じことをするのだろうか。中国での記者会見でやったら・・そんな怖いもの知らずは、いないか。

カブールの人たちのアメリカへの感情は、とても複雑だったように感じた。ハリウッド文化や、音楽に憧れながら、そして”民主的なもの”に期待を抱きながら、でも、自分たちが”下”に見られていることを感じながら、また、軍事占領に反発も感じながら・・・

私が感じたような感覚は、現地の人たちも感じていたと思う。
今回のタリバン復帰で、「アメリカの侵攻の20年は何だったのか」と言われたが、20年の努力が一瞬にして水泡に帰したわけでもないだろう。こうした感覚は、何らかの影響を、じわりじわりと及ぼしてはいなかったか。

自分は、大丈夫か?


しかし、私が一番ここで書きたかったことは、アメリカの批判ではない。

「人のフリ見て我がフリ直せ」。

自分は大丈夫か。何か”勘違い”していることは本当にないか。国、立場、職業、それが何であろうがなかろうが、謙虚さと、「無知の知」の意識を失ったら終わりだ、と本当に、心からそう思ったのだった。世界は自分が知らないことだらけで、それは死ぬまで、きっとそうだ。

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