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「喫茶去(きっさこ)」って何? -- 不思議な中国語「去」

初めて知った言葉

昨日、shimaikuさんの記事を拝読していたら、寄せられたコメントの中に、恥ずかしながらこれまで知らなかった、素敵な響きの言葉があった。それは・・・

「喫茶去(きっさこ)」


「喫茶去」とは、一体どういう意味だろう。
広辞苑を引いてみると・・・

きっさ‐こ【喫茶去】 〔仏〕禅語。お茶でも飲んで来い。もともと相手を叱咤する語であるが、後には「お茶でも召し上がれ」の意に解され、日常即仏法の境地を示す語と解された。

広辞苑より

ん?まだ、いまいちよく分からない。
中国の唐の時代の禅師が言ったとされる言葉だそうだが。

中国のウェブサイトにも解説があった。

高名な禅師が、訪れてきた修行僧たちに対して、彼らの立場に関係なく一人一人に「喫茶去(現在中国で使われる文字では”吃”茶去)」と言ったという話だ。

「喫茶去」は、中国語では「お茶を飲みに行きなさい=お茶でも飲んできなさい」の意味だが、解釈が少し変わって「まあお茶でも召し上がれ」になったとか。

それでも、よくわからないが、わからなくて当然みたいだ(笑)

この中国のサイト「百度百科」でも、「喫茶去」の解釈は、「见仁见智 (jiàn rén jiàn zhì=ものの捉え方は各人各様、の意)」と書いてあるから。

「仁者见仁,智者见智」

= 仁者が見れば仁と言い、智者が見れば智だと言う=各人各様の解釈がある、の意

恥ずかしながら、禅については知識ゼロ。

詳しくは専門家の解説を聞いてみたいが、私としては、「どんな立場や状況にあっても同じように、ゆっくりとお茶を飲みながら心を落ち着かせる」というニュアンスだと取ったが、合ってるだろうか。

(詳しくご存じの方、ぜひ教えてください!😀)

中国語の「去 (qù)」という言葉

ここで、ちょっと強引だけど、中国語の勉強に話を持っていこう。

まず「喫茶去」で使われている、「去(qù=チュイ=行く)」

ネットの記事の中には、「お茶でも飲んで”去れ”」などという記述もあったりするが、「去る」ではなくて「行く」の間違いではないかと思った。

「ご飯食べに行こう」=去吃饭?  吃饭去? ? 去吃饭去???

ところで、この「去(=行く)」という言葉の使い方でいつも不思議だなあと思うことがある。

それは、例えば、親しい人同士で「ご飯でも食べに行こうか!」という時の言い方。「語順」が何パターンかあるようで、不思議なのだ。

「ご飯食べに行こう」は、普通は・・・

"去"吃饭吧! (qù chīfàn ba)


中国語をやっていらっしゃらない方だと、英語でイメージしていただければわかりやすいかもしれない。これは、(Let's) go eat something! 的な感じの語順。

しかし、次のような言い方もよく聞くのだ。

吃饭"去"吧! (chīfàn qu ba)


これは、また英語に例えてイメージしていただくとすると、語順は、
Let's eat something go! みたいな感じとでも言おうか。

今回のテーマ「喫茶去」も、このパターンじゃないかと思う。
また変な英語の例えをすると、drink tea go 的な感じで。

ちなみに「喫茶去」の「去」は、やや軽く発音する感じだ。

そして、そして、さらに・・・

“去”吃饭“去”吧!! (qù chīfàn qu ba)

・・・という人もいるのだ。(この時も後ろの”去”は、軽く発音する感じ)

どういうこと?
なんで2度も「去」が出てくるんだろう?なんで「去」で文章を挟むんだろう?
これも、英語に例えたら go eat something goというような不思議さだ。

まあこの最後の「去吃饭去」については、知り合いの台湾人に聞いたら、そうは言わないと言っていたが、方言的なものなのだろうか?(これも、ご存じの方教えてください!)

そして、この「去(=行く)」。まだ不思議なことがある。
別にどこかに行くわけでもないのに、「去」を使うパターンもあるのだ。

これについては、また次回!

「喫茶去(きっさこ)」の意味、「吃饭去」の文法的な理論など、ご存じの方は是非教えてください!

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今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😀

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