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「生まれてきてよかった」なんて、手放しで喜べなくて

1/28。

6:00起床。

天気は曇り。





あと1日。


あと1日で、また一つ年を重ねる。


感慨はない。


「そういえば、そうだった」くらいの。


パートナーがいなかったら、たぶんすっかり忘れていた。


なんだか、色々と準備してくれているらしい。


心から祝ってくれる人がいるなんて、僕は幸せ者だ。


そう、手放しに喜べたらいいのに。


僕は、両親のことを考える。


ほぼ絶縁状態の彼らを。


「産んでくれてありがとう」感謝するべき両親に、僕は生涯二度と会いたくないと思っている。


僕は彼らを憎んでいるし、同時に愛してもいる。


頭の中で、何度も罵ったし、何度も謝った。


ある日のカウンセリングで、両親のことを話したことがあった。


僕は、彼らのことを口にする度、こみ上げてくるものを抑えられなかった。


長らく両親と距離を取っていると、20年以上ため込んできた不満が次々に露呈する。


でも、僕の願いはたった一つだった。


「普通に愛されたかった」


母さんに、「変」「おかしい」と変なものを見る目で見られたくなかった。


父さんに、自分が鬱になったとき「お前の心が弱いからだ」と怒鳴られたくなかった。


20年以上生きているのに、僕はまだ、子どもの頃に根付いてしまった恐怖に囚われている。


母さんに、自分のことを話したこともあった。(父さんは、そもそも話を聞いてくれないから。)


でも、全部無駄に終わった。


パートナーと結婚したとき、母さんは少なからず安心したようだった。


何ヶ月も前、母さんと電話したときに言われた言葉。


「××さん(パートナー)に全部任せることにする」


「私はもう、あなたを理解できないから」


ああ。


やっと、わかってくれたんだ。


僕は、安心した。


同時に、絶望した。


ごめんなさい、ごめんなさい。


普通の子どもになれなくて、ごめんなさい。


あなた達が望む『いい子』を演じてきたけど、もう限界です。


本当に、ごめんなさい……。


僕は、あと一日で年を重ねる。


「ハッピーバースデー」


その言葉が、僕に適切なのかはわからない。


もしも、この先大勢の人に祝われるような人間になったとしても。


自分を産んでくれた人達のことを考えると、素直に喜べないんだろう。


二度と連絡を取らないと決めたのに。


二度と会わないと決めたのに。


僕はやっと、平穏を手に入れたのに。


誕生日は、誰かに祝われ、自分を呪う日。





「僕だけが、鳴いている」


これは、
ぼくと、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。


連載中。


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