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じじいになるまで、生き延びてやる。

36.8℃。ぼくの体温は低めなので、これはやや微熱になる。


健康のためには、1日最低30分は歩いた方がいいらしい。近ごろのぼくは、たぶん15分も歩いていなかったと思う。それが昨日、計3時間は徒歩でふらふらあちらへこちらへ。なので、帰宅するころには、うっかり熱発していた。まあ、微々たるものだけど。


ええと、こんなご時世ですが大丈夫です。昨日もそうだったけど、原稿に集中しすぎて熱発するとか、日常茶飯事なので。


昨日は、普段は行かない図書館へ行った。そのために、電車にも乗った。あと、知人に会いに行った。コーヒーを出店している知人。他にも、見知った顔があった。この数ヶ月で、出会った人達。でも、友人と思える人達。


人嫌いが直ったわけじゃない。(たぶん「直」せはする。完全に「治」らないとしても。)でも、仕事を辞めて久しいぼくにも出会いがあって。それを喜ばしいことだとと思える自分でよかった。


そういえば、今は使っていない焙煎機を譲ってもらえることになった。はい。焙煎も始めます。新人文学賞、応募完了したらね。


そんなぼくは、原稿をがりがり修正しては、体調を崩すのくり返し。どちらも、1日以内に起こっている話です。なので、午後には使いものにならなくなる。夕方になれば、多少元気になることもあるけど。喋ろうとするだけで、息切れを起こすことも珍しくない。心因性? それとも、単純に体調に起因するもの? 


仕事終わりにかかってくるパートナーの電話にも、ろくに対応できない。早々と切って、布団の上でうずくまる。去年のこの時期より、ひどくなっている気がする。ぼくが原稿に入り込めば込むほど、現実のぼくは何が何だかわからなくなる。ああ。頭が割れそうだ。


原稿を頑張れば頑張るほど、ぼくはだめになる。でも、原稿を放棄しても、それはそれでだめになる。どちらがましか、の話。それなら、書き続けた方がずいぶんとましだ。


何をしていても、何もしなくても、しにたくなるぼくだ。けれど筆を取るのは、書きたいからだ。書きたいものがあるからだ。頭をかきむしっても。呼吸が浅くなっても。自らの腕に噛みついても。ぼくは頭の中身をぶちまけて、小説として体裁を整える。


「だめ人間」
「しんだ方がいい人間」


その通りにした方がいい?


……。
……。
……。


これを書き終わってからでもいい?


そんなくり返しで、まだぼくは生き延びている。じさつなんて、するものか。このまま、じじいになるまで生き延びてやる。

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