最低なぼくの、最低な回想。

kindle端末が、アップデートしてから少し使いにくい。「使いやすさ」を売りにしているらしいけど、絶妙に使いにくい。それとも、これはぼくだけが感じているものなんだろうか。


端末自体は、結構古い型だ。何年か前に、「あんまり使わないから」と妹にもらったもの。丁度欲しいと思っていたぼくは助かった。兄妹は、ぼく以外は全員上京している。最後に会ったのは、いつだったっけ。だいぶ前……そうでもないか。去年の盆休みに会ったな。兄妹に接触したことで、施設勤務のパートナーに2週間会えなかったので、覚えている。正月は、そもそもぼくが帰ってない。


会えないことを、寂しいと思わない。というか、思えない。年に一回会えるか会えないかの頻度に、慣れてしまったから。というわけではなく。無関心なだけだ。最初からそうだったわけじゃない。いつからだろう。ぼくはきっと、世間的にはひどい奴なんだろう。今さらだし、どうしようもないけど。


そんなことを、昨日耳鼻科の待合室で考えたのだった。kindleで「緋色の研究」を読みながら。ぼくが通っているクリニックは、予約ができない。ので、診てもらうには早めに出かけて、ひたすら順番を待つしかない。昨日は「早めに出かけ」られなかったので、1時間待った。本を読んだり、詩を書いたり。退屈はしなかった。座りっぱなしなのは疲れるけど。疲れたころに順番が来た。(ちなみに、抗アレルギー薬をもらいに行っただけなので、具合が悪いわけじゃないです。)


帰りに、書店に寄った。ほぼ毎日通っているので、ラインナップは早々に変わらないんだけど。栗原はるみさんの季刊誌「haru_mi」が100号を迎えていた。読んだことはある。買ったことはない。実家で、母が定期購読している。ぼくは、栗原はるみさんのレシピを1冊だけ持っている。母が十数年使っているものと同じ。目まいがした。


ぼくは、母が嫌いだ。(父はもっと嫌いだ。)子どものころから「変」「恥ずかしい」「みっともない」と言われてきた。どうしてぼくが「変」で「恥ずかし」くて「みっともない」のか、説明してもらえず。中学生のころに書いた詩を読んでもらうと、鼻で笑われた。高校生のころ、学生向けの小説コンクールで賞をもらうと、泣いて喜んだ。気持ち悪かった。


母が嫌いだ。でも、嫌な思い出ばかりじゃない。愛された記憶も、ちゃんとある。けれどその事実で、ぼくを苦しめてきた記憶が和らぐわけじゃない。ぼくはもう、母に会わない。父にはさらに。たぶん、兄妹にも。


ぼくは今でも、母が使っているのと同じレシピを使って、妹からもらったkindle端末で本を読む。

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