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たまには、パートナー(と本)の話。

9月が終わる。特に感慨はない。と、8月も言っていた気がする。夏休みも秋休みもないので、それはそう。あと、感慨に耽る余裕がない。新人文学賞の締め切りまで、あと2週間。書いて、(疲労により)眠って、また書く日々。時々、本を読む。コーヒーを淹れる。同じことを、ほんの少し前にもここに記した気がする。ので、毎日は特に変わらない。


昨日は、少し楽しいことがあった。来月、古本屋でイベントがあるので、そこで紹介する詩なり短歌なりを選んだ。パートナーが。ぼくは、すでに選んでいたので。パートナーが持っているのは、詩集1冊歌集0冊のみだったので、ぼくが持っているのを畳の上に並べて、自由に読んでもらった。パートナーは、思いのほか楽しそうだった。


そういえば、うちにある谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』はぼくのものだけど、彼を好きなのは、どちらかと言えばパートナーなのだった。その本から気に入っている詩を見出したり、自分も当分読んでいなかった詩集からも、琴線に触れたものがあったらしく、嬉々としてその頁に付箋を貼っていた。


あと、なぜか途中でヘルマン・ヘッセの『デミアン』を読み始めた。ぼくの本なんだけど、パートナーも読んだことのある本で、ある数行を思い出したとのことだった。パートナー曰く、「詩っていうものが、頭の中にぼやんとして、そこで思い出した」。その心境は、わからないでもない。


「本好きなの?」

「え!? 好きだよ」


なんか、めちゃくちゃ驚かれた。


いや、嫌いだとは思っていなかったけど。漫画も、あまり読まない人だったので。(最近になって、『ブル―ピリオド』とか『映像研には手を出すな!』とか読みまくっているけど。制作系の話が好きなのかもしれない。)


日ごろ、古本屋に連れ回しているけど、付き合わせて申し訳ないと思っていた。でも、「いや、自分も好きだから」は気遣いじゃないらしい。なんだか、安心した。


「それで、決まったの?」

「決まった」


らしいです。まあ、パートナーにしろぼくにしろ、心変わりがあるかもしれないので、作品は見直しておくとして。そのとき、まだ19時にもなっていなかった。単純に、自分が好きな本に興味を持ってくれて、うれしかった。そんな、穏やかな日もある。

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