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太宰治 「斜陽」

「革命」というものが、チンプンカンプンで、ちっとも腑に落ちなかった。

だけど、今わかった。

革命とは「愛の結晶」であり、「死と再生」、あるいは「終焉と再興」だったのだ。


前半戦、呑気な貴族の優雅な暮らしぶりの描写ばかり続き(いえ、たまには災いのモチーフとして描かれた蛇が登場し、刻一刻と悲劇さを増して行ったけれど)、なんだか飽き飽きしてきたなあ、とあくびが出そうになるところで、突然物語の本編が始まる。

なんとも長い前戯だこと。
あるいは、必要に駆られてのこと、メインディッシュをきちんと盛り立てるには、前菜は控えめかつ、しっかりとしたボリュームのあるものである必要があったからなのかもしれない。

とにかく、物語は、主人公母の死をもって、何もかもが解き放たれ、突然時計の針が動き出すのだ。

抑圧と退屈と鬱屈に満ちた伊豆別荘から、舞台を東京は中央線に移し、主人公の恋と革命が始まる。

そう、やっと自分のために生きる、という意味を理解するのだ。

そこからの展開は早い。
6年という長い歳月を、まるで蝉のようにじっと首を長くして待ち続け、母の死という悲劇的かつ革命的な出来事を合図に、堰を切ったように東京へ出てくる主人公。

恋い焦がれていた上原さんの元を必死で辿り、男だらけのむさ苦しい空間に恐れも知らず身一つで飛び込み、近くの宿舎へ送ってもらうと、自分からキスを仕掛ける。

なんと、行動力のある乙女。

それにしても、弟の直治と上原さんは、著者である太宰治の人生を足して2で割ったように描かれているなあ。
これも、太宰の策略だろうか、それとも、天才的な技量による計算外の出来事なのだろうか。


作品末尾の、大ドン返し、とでも例えようか。
いや、作品が好転したわけでは決してないのだが、弟直治からの思いもがけない告白、それも自分の好きな人、上原さんの奧さんに恋をしていたという事実に、姉はどれだけ心を狂わせただろう。

上原さんに恋をする主人公と、上原さんの奥さんに恋をする弟。
悲劇以外に何と呼ぼう。

この作品は、「2人の貴族の女性が山奥で生きる喜びを見つけようと奮闘する話」などと、あまり面白みを掻き立てられない紹介文がよく掲載されているが、本当は、「犠牲者の物語」、あるいは「死と再生」、あるいは「終焉と再興」と第するべきではないだろうか。

変に、「生きる喜びを」などと陳腐でありきたりな言葉で綴るよりも、よっぽど真実味があるし、的を射ていると思うのだ。

母の死、弟の死。
愛する肉親の死を乗り越え、主人公が選んだ真の悦びとは、叶わぬ恋の相手が宿した新しい生命だった。

その生命こそが、革命であり、愛の結晶であり、希望の光そのものだったのだろう。

まるで、ルネッサンスさながら。
文明開化、生命開花。


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