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本当に大切なことが見えると、自分を褒めたくなる

こんにちは、愛音です

今回お話したいのは統合失調症と私について。

まず私が学校に通っていたのは中学2年までです。通えなくなったきっかけは授業妨害でした。授業中なのに授業が成立しない日がずっと続きました。最初は私も大声を出し「静かにしろっ!!」とキレ気味にクラスを静かにさせてましたが、心が限界になるとと学校が教室が怖くなりました。

そんな教室にいても成績は良かったです。煩くて授業が成立しなくても自分で教科書を読み込み、ノートに内容をまとめていました。
得意の数学の公式を応用して解けたときは最高に面白く、英語は苦手でしたがその苦手をどう理解すべきか考えるのは好きでした。歴史の暗記はノートに書き写しながら声に出すと覚えやすかったです。

しかし、今は当時のような理解力も暗記力もありません。

半引きこもり生活のときは理解力、暗記力がなくても困りませんでしたがB型を利用し、就職すると統合失調症による障害と向き合うことになります。

たとえばクリームパンを作るときの手順は覚えているのに中に入れるクリームの量が覚えられない。30gだっけ?違う35g?メモ帳にも書いているのになかなか覚えられませんでした。

就職したあとは必死になりメモをしていました。メモだけでなく実際動いて失敗しながら覚えるようにしました。そうするといくらか覚えることは可能でした。それでも自分へ覚え悪いね、と言いたくなる日々。

休職に追い込まれた時には理解力、暗記力はかなり低い状態へ

まず申し送りでなにを話しているのかが理解できない。メモを取りたくてもペンが動きません。日本語は聞こえてるのに、なにを話してるのか分からない…。
職員会議では他の職員がペンを走らせているのに私のペンだけ動かない、分かるのは自分の焦ってる状況だけでした。

パソコンを使う仕事を教わったときは泣きたくなりました。それまでエクセルは使ったことがなく、丁寧に教わっているのに覚えが悪い…。
先輩職員に聞けば優しく教えてくれましたが、その優しさに仕事で応えたいのに応えられない自分がいました。

家でエクセルを勉強しても覚えられない、
好きな数学はとにかく楽しさと学べた、
苦手な英語は努力の仕方が見えた、
歴史の暗記はやればやるだけ知識がついた、
それなのに、なんで?どうして?
どうして今は出来ないの…?

統合失調症による理解力、暗記力の低下は努力ではすべてをカバーできない。それが私の持つ障害なのかもしれませんね。

昔のような理解力、暗記力は今も戻ってはいません
でもそれを責めることをやめました。
出来るところまで努力した自分のことを褒めることにしています。

「苦手なのによく今日もやろうとした」
「昨日やったところ、1つ覚えてた」
「昨日より集中出来てるんじゃない?」

今を自分を認める、これが何より大切だと思っています
その自分が障害を負う前の自分とかけ離れていても、
頑張ろうとする姿は同じくらい誇れると気づいたんです


すぐに仕事を覚えられなくても
理解できないことが周りより多くても
それを頑張る自分のことを褒めていこう

それが統合失調症と生きると決めた私の生き方です

*愛音*

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