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私はわたしを幸せにすることにした

長いこと私は、幸せとは自然にやってくるものだと思っていた。

まじめに働いていたら幸せになれる。まじめに生きていたら恋人ができる。欲深くならずほどほどに、でも人から感謝されるように生きてさえいれば、自然と幸せがやってくる。そんなふうに思っていた。

もちろん、そうやって生きていても幸せだった。仕事はやりがいがあって仲間も好きだし、そこそこ好きな恋人もできた。趣味の旅行に行けるくらいにはお金があるし、充分な生活だと心から思っていた。

でも、それはどうやら違うらしい、幸せとは待って得るものではないらしいと気づいたのは最近のこと。待って得る幸せと自ら得る幸せは、幸せの性質が違うっぽい。だから私は、自らの手でわたしを幸せにすることにした。

「待って得る幸せ」と「自ら得る幸せ」の違いとは


「幸せとは自然にやってくるものだ」と思っていた頃の私は、じぶんが幸せになることを待っていた。

いまは仕事がキツいけど、もう少ししたら落ち着くから大丈夫。いまの仕事内容は私に合っていないけど、みんな通っていく道だからあと少しの辛抱だ。いまの恋人はなんだか頼りないけど、そのうち頼もしくなって私を幸せにしてくれるだろう。

いま振り返ってみれば、「幸せになるのを待つ」とは、「何がじぶんにとっての幸せなのかを決めないまま」で、「幸せが供給されるのを待つ」ことだったなと思う。

だから苦しい時期も多かったし、でもどうして苦しいのかもわからなかった。

それに対して「自ら幸せを得る」行動は、「じぶんがどんな状態だと幸せなのかを知っている」かつ「その状態に近づく行動をとる」ことなので、性質がまったく違うと気がついた。

なんだってそう。ゴールや理想がわからないまま動き続けても果てがない。なにを求めているのかがわからなければ、永遠にゴールにはたどり着けない。

そんなことはわかっているのに、じぶんが幸せになることにおいては「待っていればいい」ものだと思っていた。

わたしを幸せにする方法


少し前、私はモノを整理した。好きなものだけ家に置き、そうでないものは遠慮なく手放す。身近にあるものを「好きか・好きじゃないか」で選ぶので、いま私は好きなものに囲まれて生活をしている。

結果的にこの方法は、モノだけではなく思考や人間関係にも影響した。私が大事にしたい考え方やなりたい姿に向き合えたし、違和感があるままに続けていた人間関係も整理することができた。

「好きか・好きじゃないか」を丁寧に考えて、好きなほうを選んでいく。これが「自ら得る幸せ」の正体で、わたしを幸せにする方法だと気づいた。

誰も幸せにしてくれない。じぶんの手で幸せにする


どんなに素晴らしい環境にいたり、どんなに素晴らしいひとが身近にいたりしても、極論じぶんが「どんな状態であれば幸せなのか」がわかっていなければ幸せにはなれない。

だから私はわたしのことをちゃんと知り、幸せにすることにした。

会社や誰かに求めるのではなく、じぶんで着実に叶えていくこと。いい意味で、周りにはもう頼らない。じぶんが居心地のいいことを選んでやっていく。

その方法の1つが、私にとってはnoteで文章を書くことであったりする。文章を書くことは、自らの思考を明らかにすることにつながる。こうしてじぶんを知っていくことは、いまの私には居心地がいい。

少しずつでも着実に、私はわたしを幸せにしていきたい。


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