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この家は、住みやすかった

母とのわだかまりが取れて、1か月が経った。明らかに、以前よりも笑顔で話せる時間が増えた。

私に気を遣っていたらしい母は、私にちょっかいを出してくるようになった。家族に弱みを見せたくなかった私は、そのちょっかいを笑顔で受け取るようになった。

この家は、私が思っているよりもずっと、住みやすい場所だった。


▼わだかまりが取れた時の話


家にいたくない気持ち


たいていの子どもと同じように、私は高校生まで実家に住んだ。大学はなんとか県外に出してもらい、そのまま県外で就職をしたかった。

なぜかといえば、私にとっては田舎も家も窮屈だった。

反抗期の終わらせ方がわからず、親との関係性はギクシャクしたまま。いまさらどうすればいいかもわからないし、私は家に戻る気はなかった。


計画を変えたのは、大学4年生の頃。3年生の末に持病を発症して、一時的に生活がしづらくなった。

症状がものすごくひどいわけではないけれど、この病気が「完治」をしないということは私を不安にさせた。

そんなネガティブな理由がきっかけで、私は家に戻ることにした。持病と就活で疲弊しすぎた私には、親の近くにいたほうが心が安らぐと思えた。


家は住みづらいと思っていた


社会人の4年間を実家で過ごし、異動もろもろを経て、私は実家に戻ってきた。

大人になっても反抗期の終わらせ方がわからない私にとって、家はやっぱり住みづらかった。

でも、少しの変化もあった。

私が会社を辞めたことで、心の余裕ができたこと。コーチングやカウンセリングを通して、自分と家族の関係性を言葉にできたこと。

このおかげで、私は家族と向き合う準備ができた。その結果起きたのが、母とのわだかまりの解消である。


私は、家は住みづらいものだと思っていた。一度ひとり暮らしを経験すれば、その傾向は当たり前なのだとも思っていた。

だけど、私は大人になり、心とも向き合い、考えが変わった。母も歳をとり、子どもたちが小さかった頃とはまた違った母になり、私たちの関係性は変わった。

だから今は、家の居心地がいい。家族と笑顔で過ごせる日が戻ってきた。この家は、私が知っていた以上に住みやすかった。


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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️