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「若くて羨ましい」のはなぜか

コーチングを学んで1年弱。浮かんでくる感情をとらえ直したり、もっと細かく解釈し直したりをくり返したこの期間。

いろんなもののとらえ方が変わって、誰かを羨ましく思うことが減った。


だけど、それでもたまに思うことがある。

「若さって羨ましい」「私にもこの時間があったら」……

私が若さを羨ましく思うのは何なのか。この言葉の正体は何なのか。唐突に理解ができたから、書き残しておきたいと思う。


若さの何が羨ましいのか


いまの私にとって、一番若いのは「いま」の私である。

これは言い聞かせる言葉ではなくて、なんの疑いもない「私の言葉」としてここにある。この考え方は、私のものになっている。


だけどふと、「若いっていいな」と頭に浮かぶことがある。

私が一番若いのはいまなのに、なぜ他人の若さが羨ましいのか。

ふと、そんな問いが浮かんだ。若いと何が違うのか。若さの何が羨ましいのか。


いまの私を作る過去


若いときの私、もとい「羨ましい誰かと同い年だった私」は、「羨ましい誰かのような行動」をしないことを選択した。

私はもう少しこの会社にいる。毎日辛くても、きっとここに幸せがある。

頑張っていれば勝手に幸せがやってくると信じて、頑張る方法や方向を見直すこともなく、ただ私なりに「頑張って」いた。


いま思えば、この時の私はただコンフォートゾーンに居ただけのこと。

抜け出すことにエネルギーをかけず、比較的に快適な場所に居続けただけだった。


私は、コンフォートゾーンを抜け出す選択をしなかった。その行動ができなかった。

だから、行動ができた人が羨ましいのだ。特に、「私がやりたくてできなかった」選択のできた人が。

私がもうとっくに過ごした年齢で、私ができなかった選択や行動のできる人が羨ましい。これが、「若くて羨ましい」の正体だった。


「若くて羨ましい」のはなぜか


若い私には、当時の私が想像する以上に行動力がなかった。

当時の私は、自分のことを活発でフットワークが軽いほうだと思っていた。でも、人生を変えるほどの行動力は持ち合わせていなかった。


だから。いまの私は、若くて行動力のある人が羨ましい。だけどもう、時間は戻らない。

未来の私がまた羨ましさを感じないように、人生で一番若い私が行動していくしかない。これしか選択肢はない。


そういえば、いまの私は行動力が鈍っている。「いまの私はこれでいい」と、自分に言い聞かせてしまっている。

そろそろ行動する時なのかもしれない。また私は、コンフォートゾーンに居たがっているだけなのではと気づいたから。


動くことは、たくさんのエネルギーがかかる。

行動は簡単なことではなくて、体は重くなる。だけど、いまこうして気づいたことには意味がある気がする。

「行動」に、舵を切っていきたいと思う。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️