ドイツの暮らしは好きだけど本当は家族とも一緒にいたい
今朝目覚めたとき、ふいな寂しさにつつまれていた。
私はどうして遠い場所にひとりでいるのだろう。日本を好きでいられたら、私たちの未来は明るいと思えたら、私も家族と一緒に日本に居たいのに。
そう思えて、急に寂しさを感じた。私は寂しい人なのだろうかと自分に問いながら、窓際の暖房を操作した。
ドイツは好き、家族も好き
私はいまのところ、ドイツでの暮らしに満足している。
家賃は高いけれど満足する家に住めているし、時差はあるけれど日本の方たちと満足にお仕事ができている。
ドイツ語は少しずつ上達していて、ここでの暮らしとコミュニティに馴染んできた。日本に居てはできなかった体験ができていて嬉しい。
ドイツでの暮らしに、私は予想以上に満足している。
でも、ことあるごとにふと思う。日本が若者の未来を本気で考える国だったら、私は日本にいられたのにと。
私はドイツが好きだけれど、家族のことも当然ながら大事だ。好きとか嫌いとかを超えて、家族はやっぱり大切な存在だと思う。
そんな家族と私は、人生であとどれだけ会えるのだろう。私がドイツに住み続けるとしたら、家族と会えるのは人生であと何回だろう。
ドイツは好きだけど、家族も好きで大事なのだ。
本当は家族とも一緒にいたい
ドイツは好きだけど、本当は家族とも一緒にいたい。大事な存在なのだから、電話ではなくふれ合える距離で時間を過ごしたい。
私が日本を嫌う感情は、ほんとうに家族と居たいという気持ち以上なのだろうかと時々思う。
家族と居たいという愛のような感情よりも、日本を嘆く気持ちのほうが果たして上まわるのか、それで本当にいいのだろうかと。
かといって、私はこの生活を手放さない。日本には帰りたくない。
思想の合わない国には住めないし、ましてや憲法改正や戦争なんてことになれば、家族のためにもここを離れられない。
だけど私は、両親の子どもであり、祖母の孫であり、弟たちの姉である。ほんとうはそんな家族と一緒にいたい。
家族と一緒にいたいのに、それを選ばせなくするほどの政治とはなんなのだろう。私はそんな国に生まれてしまったのだろうか。
まだ遅くない、これからでも変えられる、私も力になれるはずと思う。あるいは、そう思いたがる私がいる。
きっとまだ手遅れではなかってほしいと願う。私は家族と一緒にいたい。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️