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いなくなっても心の中にいつもいるってフィクションだと思ったけど、自分のなかに受け継がれていくものなのかもしれない。

「もう会えないけどいつも○○の心のなかにいるよ」

命を題材にする映像でよくある言葉。”心のなかにいる”とはどういうことかわからなかった。物語を締めくくる時のきれいなセリフぐらいにしか思えない。「死」は何も発信できなくなること。私が息をしなくなって、声も出せなくなって、大事なものをつかむこともできなくなってしまって、やがて時がたつと忘れ去られていくもの。死にたいしてあまりにも無機質な感情しかなかった。それは私が看護師であるからかもしれない。日々「生」とむきあっていく仕事は肉体的にも精神的にもきつい。治療の甲斐なく一生を終える人を何度も見てきた。奥さんや子供、お母さん・・・その人に関係するすべての人が寂しさと悲しみにうちひしがれる。そんな中で「身体はなくなってもあなたの心の中にはいますよ」とは言えない。人の死にたちあうとかならずといっていいほど思う、もっとできることはなかったのかと。治療をする側にも後悔が残ってしまう。ことばに表せないものがあるからかえって深く考えないようにしているのかもしれない。





身近な人の死から教わったこと

父親のような存在の祖父が6年前に亡くなった。がんと知らされたとき、あまりにも現実ばなれで受け止めることができなかったのと、なんで気づかなかったのかという情けなさがあった。8時間に及ぶ手術が成功し喜んでいるのもつかの間、手術後に肺とリンパ節に転移が発見された。母や叔父はやるせない気持ちをドクターにぶつけた。私たち家族の中心にいた祖父の急な病気はやがて訪れる死を現実として突き付けていた。

転移していたことは本人に告知しないという選択をしたが、祖父は知っていたと思う。口には出さなかったけど、いつもすべてをさとったような顔をしていたから。きっと痛みでつらい日もあったかもしれない、つらい治療もあったかもしれない、でもいつも元気になることを目標にして最後まで生きることをやめなかった。そんな強い祖父が亡くなってしまった。葬式に出ても毎月の法事に出てもいなくなったという感覚や悲しいという気持ちが不思議と湧かなかった。今でもどこかに知らないところにいるだけで、いつか帰ってくる。そんな妄想めいた期待をもっていた。だけど以前住んでいた場所に行っても、家族で集まった時にも祖父の姿はない。その時に少しだけ「あぁ、いないんだ」と感じるくらいだった。

ある日、仕事で患者の家族と話しているときになぜか説得力のある言葉で励ましていた。すると泣きながらも「ありがとうございます」という言葉がかえってきた。祖父を通して学んだ思いや、何もできない憤りとか、つらい気持ちとか、口先の励ましではない言葉が相手に伝わったのだろう。祖父の経験がなければできなかったことだった。その時に初めて死を現実に受け止めることができた。そして悲しい経験が仕事にいかされることが嬉しくもあり前まで苦手だった家族対応が、少しでも悔いのない時間を過ごしてほしいとすすんで動いている自分がいた。なかには現実を受け止められない人もいて思いが届かないこともあったけど、語り続けることで「死」という考えが意味のあるものにかわっていった。





”心のなかにいる”はホントやった

身近な人の死は悲しいもの。会うことはできないし、感謝を伝えることもできない。だけどふとした時にひょっこり現れる。私は命の現場で患者さんや家族と向き合っているときに必ず祖父のことを思い出す。そして残された家族に語りかける勇気をくれる。「心のなかにいる」ってこういうことなのかな。身体はなくても励ましてくれた言葉や、間違っているときに教えてくれた生き方、悩んだ時に祖父だったらどういうことをいうのかなとか自分のなかに受け継がれていくものなのかもしれない。

当時は看護師になって5年目くらいでやっと仕事にも慣れてきて自分なりの看護が何なのかを考えるころ、その時に祖父が新しい色をつけてくれた。私は時々現れる祖父に今でも学ばせてもらっている。仕事ができなくなった今どう生きていけばいいのか、今までの経験が生かせる場所がどこにあるのか私は枝分かれしている道でどっちに行こうか迷っている。立ち止まった時にはいつも思い出す、「中途半端はいかん、自分の信じたことは貫き通せ」という言葉を。

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