福山にある日本初のホロコースト記念館で平和を想う@広島修学旅行
こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。
春休みの旅先は、広島を選びました。
息子が、Historyの授業で第二次世界大戦について学んでいるからです。
ヒトラーによる政権がドイツで生まれ、世界史上最悪とも言える惨事の一つ「ホロコースト」が起こってしまう過程を、多様な角度から学んでいます。
そこで、日本の視点から第二次世界大戦・太平洋アジア戦争について学ぶ旅先として、広島を選んだのでした。
前回の日光(①、②、③、④、⑤、⑥)に続いて、修学旅行第二弾です。
まずはその広島の一つ手前の福山駅に立ち寄りました。
福山には、日本で初めて建てられたホロコースト記念館があるからです。
福山駅からタクシーで15分ほどで到着します。
入館料は無料です。
初めに、記念館のスタッフの方が15分ほどの説明ビデオを上映してくださいました。記念館の設立の経緯を理解することができます。
この記念館は、理事長の大塚信さんと、「アンネの日記」の著書でありホロコーストの犠牲者であるアンネ・フランクの父親、オットー・フランクさんとの偶然の出会いから始まりました。
大塚さんが1971年に合唱団の一員として海外の演奏旅行に出ていた時に、レストランでオットーさんと出会います。
すでに世界中の言語に訳され出版されていた「アンネの日記」は、1952年に日本語でも出版されベストセラーになっていました。そこで、オットーさんは「わたしの娘の書いた日記を読まれましたか?」と大塚さん達に尋ねたのでした。オットーさんと合唱団の合流が始まります。
この交流を経て、1995年、福山の地にホロコースト記念館を建ます。記念館には、大塚さんが世界中に手紙を書いて集まったホロコーストに関連する品々が多数展示されています。
イタリア国際建築賞を受賞したという空間は、落ち着いたスタイリッシュな印象があります。2階のベージュ色のエルサレムストーンの壁にかかるのは、ユダヤ教のシンボルマークメノラ(7枝の燭台)です。
ホロコーストの歴史、ゲットーの壁、アウシュビッツの収容所の模型、「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」という偽りの看板、収容所で犠牲になった少年の15センチの靴、アンネの部屋の再現、杉原千畝氏をはじめとする「諸国民の正義の人」に関する展示など、展示内容は大変充実しています。
「ホロコースト」とは、ギリシャ語で「火で焼かれるいけにえ」を意味する、との説明に絶句してしまいます。
見ているうちに、こころは重くなります。
もしこの時代に自分がドイツに居たとして、「正義の人」のように振る舞えただろうか。自問が尽きません。
記念館の裏にはアンネのバラ園があります。
アンネの日記に感銘を受けたベルギーの園芸家が開発した品種「アンネ・フランク形見のバラ」の庭です。
オットーさんが育てたこのバラが日本に贈られ、以来40年余り、地域の人たちの接木によって増やされているそうです。
記念館では、地域の子ども達が平和学習の成果発表の練習をしていました。全国からも多くの学生が記念館を訪れているそうです。
奇跡とも言える出会いから繋がり、大塚さんの信念により設立されたこの記念館。階段を上るとあるモティーフに、この過ちを忘れることなく次代に伝えていくことの大切さを想います。
記念館のパンフレットを購入し、旅の間も読み続けました。
ホロコーストは、ドイツ人だけでなく世界諸外国の無関心により起こってしまったことも学びました。
少なくとも、知ることを怠らずにありたいと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?