Reina Sato

Bluem Coffeeというブランドでコーヒーを焙煎し、間借り営業で抽出をしています…

Reina Sato

Bluem Coffeeというブランドでコーヒーを焙煎し、間借り営業で抽出をしています。 都内でバリスタとしてコーヒーを淹れ、真夜中に文をしたためています。 ここでは人についてよく書いています。 どこかの一文があなたに届きますうに。

マガジン

  • From Instagram and Tinder

    InstagramとTinderで気ままに募ったお題に対して、持論を展開しつつ自己理解を深めようというものです。真面目なもの、ギリギリなもの、アウトすぎるもの、もう赤裸々です。選ぶことなく、向き合って書きます。フランボワーズは特に関係ありません。

  • 有料記事まとめ

    有料記事をまとめたものです。月末に更新。自分自身の話(大きな声で言えないこと)が主になります。

最近の記事

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今日も、明日も、明後日も。

「今日も一日良い日でありますように。」 表参道のコーヒーショップで働いていた時、毎朝必ずマイボトルを持ってハンドドリップを頼んでくれるお客様がいた。 たった数分間、コーヒーが淹れ終わる間の会話はいつだって穏やかなものだった。 雨の日も、風が強い日も、晴れた日も、台風の日だって その方はいつも来てくださって 「昨日のおすすめとても美味しかった。今日もおすすめで。」 なんて言って私がコーヒーを淹れている姿をじっと見ていてくれていた。 「行ってらっしゃい。」 いつも見送るとき

    • 28.

      あと数日で生きた年数がひとつ増える。 去年、誕生日を迎えた時に紡いだ言葉。 この気持ちは今この瞬間も変わってはおらず、さらに言うならばその光を受け取るだけではなく、誰かに渡せる生き方をしたいなと思うようになった。 去年の1年間は今までの自分のやってきたことのアウトプットと、新たな分野へのインプットを絶えずにやり続けた。 1日の時間が足りずに、知識と技術に渇望していた。 走って、走って、気がついたら独走をしていたことに気がついて苦しい日もあった。 あれだけ周りの人に感謝を抱

      • また、あしたね。

        未来への小さな約束を交わす。 それはその未来までの息を存える術だから。 そうやって生きてきた。 明日、の その次の日の、 その翌週の、 また来年の、 いつかまた出会えたら、 そういう言葉を紡ぐ。 今日ふと 「世界は丸いから、だから、大丈夫」 と、言葉を発した時に なぜ大丈夫なのだろうと一瞬思考が止まった。 『生きていれば』大丈夫。 そう伝えたかった。 サヨナラだけが人生だ、と或る人が言った。 その憂いこそが人生たるものだと。 生きる実感だと。 私はサヨナラが酷く怖

        • 日々

          今は亡き祖父は破茶滅茶に自由な人で、幼い頃の私からみても魅力的な生き方をしていたような気がする。 彼の書斎には誰1人として入れなかったのに、私は自由に出入り出来てそこにはいつもカメラとコーヒーと高く積まれた本があった。 今の私そのものだな、と思う。 彼が撮るのはいつだって人だった。 彼が飲むコーヒーはいつだって自分で淹れたものだった。 彼が読む本は幾つものジャンルだった。 彼が遺したカメラで大切な人たちを撮る。 彼が使っていたドリッパーでコーヒーを淹れる。 彼が書いた本を

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          水深1,741m

          午前1時13分 名古屋行きの夜行バスに揺られる 友達の誘いにふらっと乗って、仕事がタイトにも関わらずさくっと夜行バスのチケットを取った私はきっとここから逃げ出したかった なにも考えたくなんてなかった 痛みと悲しみと怒りの混沌とした気持ちの渦の中で息をし続けることをしっかりと落とし込めるほど私は強くなんかない 『逃げだよ』と誰かが囁く いいじゃない、逃げても だって逃げた先が道ならまだ続くし と、また誰かが言う 逃げようと思った 決めた瞬間に、道が拓けた それは余りに

          朝帰りの気温

          「君はとても人間くさくていいね」 渋谷の薄暗い和食居酒屋で薄い会話を重ねて、なんとなくお互い酔っ払って、タクシーを横目に散歩をしようかだなんて言って、なんとなく足取りを合わせて。 午前1時の三軒茶屋はぽつりぽつりと明かりが灯っていて、私たちの足取りは自然と緩くなった。 彼のうしろに続いて階段を静かに上がっていると 「君はとても人間くさくていいね」 と、笑われた。 白いシーツ、汚したら嫌だなと思った。 まあ、これから汚すようなことするんだけれども、なんて思った瞬間に手を引っ

          朝帰りの気温

          正気を保てば

          「生きるって正気の沙汰じゃない」 私のTwitterの下書きにはあまり他人には見せられないような言葉が羅列しているが、この言葉は割と真理を突いていて好きだ。 人間らしいな、と思う人は大抵どっかしらぶっ飛んだ思考をしていて それをひた隠しにされるとぞわぞわしたものが身体を駆け巡る。 多分それは欲情。 どんな人も何かしらの『正気の沙汰じゃない』ものは持っていて、それを無意識に探ってしまっていてごめんねという気持ちです。 あなたのその『正気の沙汰じゃない』なにか、ぜひ知りたい

          正気を保てば

          いとしきからだ いとしきいのち

          Twitterである外国人が言っていた。 『絶体絶命を分解すると糸 色 体 糸 色 命になってそれを読むと”いとしきからだ いとしきいのち”になる。だから日本語は美しい。』と。 ああ、本当に美しい。 愛しいそれらだからこそ、その末路を決めるのはその人自身であって 私たち、たとえ肉親であっても、その決断を咎めることも諭すこともしてはいけないのだろう。 でも、残された私たちは何にこの虚しさを、怒りを、悲しみを、表せることができるのだろう。 『死』という概念と事実を受け入れる、

          いとしきからだ いとしきいのち

          セミダブルの言い訳

          ポストに一通の手紙が入っていた。 差出人は『株式会社 文芸社』。 一気に背筋が伸びた。 それもそのはずで、数ヶ月前に人生で初めて物語を書いて公募に送ったのだ。 結果は入選に至らなかった。 わかってはいたけれど、最終選考まで残れたことはとても嬉しく思う。 そして、自分の物語を誰かに読んでもらえたことが無性に嬉しい。 完成した時に読んでもらった人からは 「起承転結の承と転が弱くてエッセイのようだ」と言われた。 エッセイやコラムが書きたいのだなと俯瞰したのを覚えている。 そっ

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          セミダブルの言い訳

          ジャスハイ4杯目の記録

          第17回、フランボワーズです。 執筆をするときや読書をするときなどのお供は珈琲一択なのですが、最近は微酔を帯びていたほうがいい言葉が浮かんでくるのではと思っています。(ただ飲みたいだけ) そして、これを書き上げるまでにお酒による失敗を5回以上しているし、酒乱と大きく書かれたレッテルを身体中に隙間なく貼られている状態なので禁酒中です。(料理を作りながら赤ワインを飲んでいた今日この頃) そんな今日のお題は お酒はとても好きです。前述した通り、どこまでも好きです。 特にカクテ

          ジャスハイ4杯目の記録

          ひかり。

          「来年になったら蛍を見に行こう」 そう約束してから一年が経った。 長い長い一年だったね、と話しながら公園を歩く。 私と彼女の間にはあまり会話はない。 話すことがないのではなくて、話さなくてもわかるだなんて詭弁だけれども本当にそうなのかもしれない。 蛍が出てくるまでの間に交わされた私たちの会話はたった二言程度だった。 「自然の蛍なんてそんな見れるもんじゃないよね」 「でも、ここなら見れるから」 そこまでして彼女が見せたかった理由を私は痛いほど理解している。 失ったもの

          ひかり。

          にじ

          『ラララ にじが にじが 空にかかって きみの きみの 気分も晴れて きっと明日は いい天気 きっと明日は いい天気』 この曲のように今日も明日も明後日もきみの気分がずっと晴れているといい。 梅雨に入るかどうなのかわからないこの頃だけれど、ずっと晴れていてほしい。 季節と共に空の高さと透明度は変わるけれど、ふと見上げた空がいつだって綺麗であってほしい。 いつだってこの曲を口ずさむときは少し寂しさを感じる。 きっと空の広さと狭さの両方を知っているからで、 誰かが言った「みん

          意図的な立ち止まり

          通勤するときに3つの横断歩道を渡らなければいけない。 そのうちのひとつは、あってもなくても変わらないような小さなもので 私は大抵赤信号で足止めを食らう。 ああ、今日も足止めをくらった。 目の前で赤に変わった瞬間に急いでいた足をピタリと止めてしまう。 無視なんて出来ない。 だって後ろには交番があるし、 もしかしたら子供が見ているかもしれないし、 たぶん車がやってくるし、 何より赤信号なのだ。 昔から信号無視をすると小さな罪悪感が付き纏ってくる。 誰かからジッと見られている気

          意図的な立ち止まり

          いつも誰かを救いたいと思っていた。

          久しぶりのフランボワーズです。 今日のお題は 私自身、書くことは好きだけれど文章力があると過信しているわけでもないので、こんな風に言ってもらえてとてもとても嬉しい。 ありがとう。 そもそも、どうして文章を書き始めたのかというと 自らの発信と内発的な衝動を分散させる為。 そして、祖父へのある種の畏敬もあったと思う。 私の祖父はゴーストライターをしていて、いつか自分の本を出すことを夢に見ていた。 幼い頃の私はその姿を間近で見ていて、彼の仕事への姿勢と本に対する愛情は慄くぐ

          いつも誰かを救いたいと思っていた。

          ぐう と きゅるる

          『食』が好きだ。
けれど、『食事』はいつだって苦手だった。 初めて包丁を握ったのは保育園に通っていた頃で、小学2年生になる頃にはカレーは作れるようになっていた。家族の為のカレー。ちょっと焦げた鍋底。 
幼い頃から誰かの為に作る習慣が身に付いてしまったからか、自分に作る料理は料理と呼べない物だった。豆腐のうえに納豆を乗っけたものや、スパゲッティにオリーブオイルと塩と粉チーズをかけただけの物、そんなものを飽きることなく食べていた。 誰かが家に遊びに来た時に料理を振る舞うと、大抵

          ぐう と きゅるる

          アリが花を運んでいた

          小さい頃良く祖父の家の近くの公園で遊んでいた。 遊具で遊び疲れると、隣の原っぱへ行き四つ葉のクローバーやその他の植物をくまなく探しては集めていた。 その日も原っぱへ行きドクダミ草を探していた。遊具で遊んでいる時に転んでしまい、膝から血が出ていたのだ。 よく祖父は「傷口を洗ったらドクダミで蓋をしなさい」と言っていた。言われた事は守る子、だった私は懸命にドクダミを探した。 その時、たくさんのアリたちがお菓子のカスを運んでいる事に気が付いた。興味がすぐ移ってしまう私はアリたちの跡

          アリが花を運んでいた