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ジャスハイ4杯目の記録

第17回、フランボワーズです。

執筆をするときや読書をするときなどのお供は珈琲一択なのですが、最近は微酔を帯びていたほうがいい言葉が浮かんでくるのではと思っています。(ただ飲みたいだけ)
そして、これを書き上げるまでにお酒による失敗を5回以上しているし、酒乱と大きく書かれたレッテルを身体中に隙間なく貼られている状態なので禁酒中です。(料理を作りながら赤ワインを飲んでいた今日この頃)

そんな今日のお題は

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お酒はとても好きです。前述した通り、どこまでも好きです。
特にカクテルやウィスキーは自分の仕事に通ずるところがあるので、とても好きです。

酔っ払うという行為はとてつも無く嫌いなはずなのに、すぐにその手段をとってしまうのはそれが『都合のいい言い訳』になることを知っているからで。
お酒を飲んでしまっていたから、
酔っ払っていたから、
散々この言い訳を使ってきた。

大抵は冷たい視線を感じるのだけれど、それを受けている時でさえ私は酔っ払っている。
可愛い酔い方なんてとうの昔に忘れてしまったし、お酒の席での全ての言葉は信用してはならないことを身を持って学んだ。
お酒が入った私は、なんだか、私じゃない誰かみたいで時折怖くなる。
全てお酒のせいにしてシラフの時では行動にすら起こせないようなことを平気でやったりする。
シラフのわたしはひっそりと隠れていて、それを静観している。
そして、後日思い出して恥ずかしさと自分の馬鹿さ加減に思わず叫び出しそうになる。
それを繰り返してでもお酒を飲むことを選んでしまうのは
酔いに任せることの楽さを知ってしまったからだと思う。

未成年の頃、何かを伝える時
例えば告白とか
内臓がぐちゃぐちゃになってるんじゃないか、と疑うくらいの吐き気と戦いながら言葉を紡いだりしていたのだけれど
いつの間にかその行為、その時の感情に負けてしまって
今では微酔を帯びていないと大切なことを吐けなくなってしまった。
なんと弱い、臆病者だ。

酔う為に飲むお酒はいつだってアルコールの味しかしなくて美味しくない。
それでも、酔いたくて
グラスを次々に空にしていく。
このグラスが空になったらちゃんと伝えよう、そんなシチュエーションの中
唐突にカウンターの下で腰にまわされた手を感じて気が付く。
都合のいい言い訳だから、始まる前に終わってる。

少しの失望と君もこっち側の人間だったんだねという確かな安堵を抱えながら歩く歌舞伎町はやっぱりいつも安っぽい明かりに包まれているし、隣で歩くその人が私の肩に当たる度にその箇所から酔いは醒めていく。
目的地に着く頃には伝えたかった言葉も、君への気持ちも、破裂しそうなくらい膀胱を圧迫してるモノと共にトイレに流したくなっちゃうんだよね。

ああ、本当に酔っ払っていてよかったよ。

どうにも勝算のない恋にも、聞きたくもない成功話にも、見たくもない汚い部分にも、この酔いはフィルターをかけてくれる。



何の力にも頼らずに真正面から伝えてくれる人たちが時折怖くなる。
傷つくことを恐れていないのか、
傷ついたとしても癒す方法をきちんと分かっているのか、
それとも、そんなことを考えるよりも伝えることが重要なのか。

そんな人たちから掛けられた言葉たちはやっぱり私にとっては強くて、いつまでも残っている。
だから怖いんだよ。

言葉はずっと残ってしまうから、
放った人にも、それを貰った人にも。
強く強く残り続ける。

そんな言葉を私は素面では紡げない。

大切なことを、伝えなければいけないことを、その時に言える人間だったならば纏わり付いている後悔も少なくなっていたのだろうか。


そんなことを考えながら今日もお酒を飲む。
酔っていたならこんなにも言葉を吐き出せるのに、なあ。
傷つくことにも麻痺することができるのに、なあ。

大人になってから逃げてばかりだ。



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