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日々

今は亡き祖父は破茶滅茶に自由な人で、幼い頃の私からみても魅力的な生き方をしていたような気がする。
彼の書斎には誰1人として入れなかったのに、私は自由に出入り出来てそこにはいつもカメラとコーヒーと高く積まれた本があった。

今の私そのものだな、と思う。

彼が撮るのはいつだって人だった。
彼が飲むコーヒーはいつだって自分で淹れたものだった。
彼が読む本は幾つものジャンルだった。
彼が遺したカメラで大切な人たちを撮る。
彼が使っていたドリッパーでコーヒーを淹れる。
彼が書いた本を開く。

彼の人生が、少しだけ重なる瞬間がある。

彼は給与の殆どを『創遊塾』という、人としての営みを子供たちに教える場所のために使っていた。
山を購入し、古い長屋を自ら改築して、見知らぬ子供たちを連れて釣りや畑仕事や山菜採り、凡ゆることの体験を渡していた。
それはきっと彼の物書きとしての人生に必要だったからだと今ならわかる。

私は、
私の夢は、バリスタになりたい人のための、バリスタのための、ワークショップ型の店舗をつくること。
私の人生にとってとても必要なことだとやっと理解した。

進む道はみなおじいちゃんの足跡だらけだ。

私はあの静かな場所がとても好きだった。
彼の底知れぬ知識量と、人を人として真正面から愛する芯の強さが大好きだった。

私が作る場所も誰かにとってそういう場所であってほしい。
底知れぬ知識量と経験値を養うために大会に出るし、
人を真正面から愛するということを知るために人に会いに行き、たくさんお話をする。


いま私がとっている行動は何ひとつとして間違いではない、と夏の気配を感じる今日に気がつく。

こういう日の気持ちは文字に起こしたくなる。
そして、それを書けるだけの余力がまだあることに安堵する。
よかった、まだまだ走れる。

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