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「なかのひと」インタビュー|代表・野村 博幸 想像を超える出会いを創造し世の中に変革を起こす(Vol.1)

こんにちは。エージェントセブン・編集部の森下です。

今月からnoteでは”エージェントセブンの「なかのひと」インタビュー”と称して、各メンバーのこれまでの経歴やエージェントセブンに入社を決めた理由、仕事で大切にしている価値観などに焦点を当てた記事を投稿していきます。

新生・noteの第一弾となるのは、弊社代表「野村 博幸」へのインタビューです!

エージェントセブンの創業者のひとりでもある野村に、前職以前の全経歴を遡っていただき、弊社を立ち上げた背景や、どんな会社をつくっていきたいか、一緒に働くメンバーへの思い、そしてこれから人材業界全体に対しどんな課題解決をしていきたいかなどについてたっぷりと語っていただきました。
※なお、本記事は編集の関係でVol.1とVol.2に分かれております。

ーまずはじめに、野村さんのこれまでのご経歴を教えてください。

(野村)
大学を卒業後、最初は遊技機メーカーに就職しました。1社目の会社は海外取引が多く、自分も提携先のアメリカのベンダーに半年ほど出向し、働いていました。そこで当時の私の上司であったアメリカ人がヘッドハンティングで転職してきたという話を伺って、そのときに初めてヘッドハンターという職業が世の中にあることを知り、あこがれを抱いたのが人材業界に進むきっかけでした。
当時(2000年前後)のアメリカでは、ヘッドハンターは医者や弁護士と並ぶ人気職業でもありました。

ー人材業界との出会いは、新卒1年目から始まっていたのですね。

(野村)
はい。アメリカから帰国してすぐ、あこがれの業界に飛び込むべくかたっぱしからヘッドハントを生業とする企業に応募をしてみました。けれど、ヘッドハンティングの世界は第二新卒が未経験から門戸を叩けるところでは到底なく、そのときはことごとく落選してしまったんですね。それで、いつかはこの仕事に就きたい!という強い意志は持ち続けながらも、まずは「人材紹介」の領域でキャリアを積もうと考えました。

その後、いくつかの会社で人材派遣・紹介予定派遣・人材紹介に幅広く携わり勉強させてもらいました。
特に人材紹介に関しては、23歳のときに事業立ち上げから仕組みづくりまで全部やらせてもらって0→1を経験したり、コネも人脈も全くないなかで頻繁にハローワークに赴いてその場で求職者を獲得し、こつこつと実績をつくりながら遅咲きのトップセールスになったり。現場で泥臭い仕事を沢山やって、それを評価してもらって、IT・モバイル領域のマネジメントを任されるようになったときに初めて、ヘッドハンティング、いわゆる「エグゼクティブサーチ」の領域にチャレンジする機会を与えてもらえるようになりました。

これまでのご経歴について新卒から現在までを赤裸々に語っていただきました

ーあこがれていたヘッドハンティング(エグゼクティブサーチ)の世界はいかがでしたか。

(野村)
エグゼクティブサーチの世界は、例えば日本を代表する大企業の、この部署のこの役職の、この人が欲しい!というbyネームオーダーが飛び交う世界でした。わたし個人としても、今では誰もが一度は利用したことがあるような、某外資系ITメガベンチャーの創業時の組織開発にも、密に関わらせてもらいました。
ただ仕事自体は非常にやりがいがある一方で、次第に会社の戦略や方針と自分の価値観にギャップを感じることも増え、この先、ここでこのまま仕事を続けていていいのだろうかと悩んでいたときに、のちに10年近く勤めることになった「クリーク&リバー社(※以下、「C&R社」と記載)」の社長である井川幸広氏と出会いました。

自分は今の環境で、楽しく仕事ができているか?
クロージングや、月末のKPIに終われ本来の目的を見失っていないか?
企業の経営課題や、求職者の人生に真に向き合っているか?

こんな感じで自分自身が当時抱えていた悩みを全部井川さんに言い当てられて。そこで頭から冷水をかけられたような感覚に陥り、余計なしがらみに縛られることなくもう一度誠実に顧客にむき合える人材紹介をやろうと、決意を新たにしました。

ー原点に立ち返って、自分が本来やりたかった人材紹介をやろうと思われた、ということですね。

(野村)
その通りです。C&R社は制作請負と人材派遣の2つの事業で拡大してきた会社だったので、人材紹介の立上げからはじまり、その後チーム統括や事業開発全般を担わせてもらいました。最終的には事業責任者になって、中長期視点で事業計画を立てて、役員会で提案して、IRで発信もして。上場企業の事業責任者という立場を担えたことで、中長期で事業や組織について考える視点や考え方を沢山勉強させてもらいました。

ーC&R社では人材紹介以外に、どのような事業に携わっていたのでしょうか。

(野村)
映像・Web・ゲームの三本柱に強いC&R社の特性を活かした次世代クリエイターを育成するプログラムを開発したり、企業に常駐してオンサイトで採用支援をしていくBPOの座組をつくったり、人材紹介にとどまらない、色々なことをやってきました。

なかでも思い入れがあるのが、当時ゲーム業界の新興勢力のひとつであった某ITベンチャー企業とC&R社との協業で、著名な業界人と100名規模のクリエイターが出会う大規模な説明会を企画・運営したプロジェクトですね。当該施策については、ゲーム業界で圧倒的な知名度を誇るメディア「ファミ通」にも広告を掲載してもらって、徐々にその認知度をあげていきました。そうして1年ほどかけて「ファミ通」を運営するKADOKAWAさんとも関係性を築いていくなかで「ここのサイトにくれば全てのゲーム会社の採用が網羅されている」というサービスを世の中につくりたいという思いが芽生えました。そして、説明会で築き上げてきた実績をもとに先方の経営陣にも直談判し、2013年にKADOKAWAさんとの協業で「ファミキャリ!」という転職サービスを立ち上げました。当時は全国にゲーム会社は380社くらいあったのですが、最終的には、そのほとんどの求人を網羅するサイトにグロースさせることができました。
※なお「ファミキャリ!」はC&R社を運営元として、2024年4月現在もサービスは継続されています。

その他だと、日本国内のエンジニア不足解消を目的に、中国の国家重点大学(※北京大学・精華大学など)のうち複数の大学と連携し、中国人技術者を集めてエンジニア育成のための「ゼミ」をつくろうとする事業が立上がっていて、その事業も含めると計5つの部署を取りまとめてました。
中国事業は社会貢献性も非常に高く、当時はエンジニア不足の課題にグローバル視点で取り組む人材企業はC&R社を含めてごくわずかだったので、絶対にこの事業を成功させたい!と思っていて。複数のエージェントに声をかけて、採用にも自らコミットしながら組織の立上げ段階から力を入れて取り組んでいたことをよく覚えています。

C&R社時代は、一人で5つの事業(部署)の責任者として非常に多忙な毎日を送っていました

ーすごく色々な取組みをされてきたのですね!華々しいキャリアをつくられていくなかで、再度人材ベンチャー企業への転職に至ったのはなぜでしょうか?

(野村)
大きな理由としては2つあります。

ひとつは、人材紹介も含めて当時合計5つの事業を管掌するなかで、ほぼ毎日のように仕事をする拠点(東京・大阪・北京)も、やることも目まぐるしく変わっていったことによって、いつしか各事業の進捗が追いきれずにすべてが中途半端になってしまっていたこと。

特に紹介事業に関しては、もう一度人材紹介を極めたい!と一念発起してC&R社に転職をしたはずが、ふと気が付いたら、それがほとんどできなくなってしまっていた。だけどメンバーからはひっきりなしに案件の相談が舞い込んでくるんですね。それに対して、現場で人材紹介の仕事が十分にできていない自分は、メンバーに対して適切にアドバイスしてあげることができない。これでは、目の前の採用や転職支援に真摯に取り組むメンバーのためにも、そして自分のためにもならないと思いました。

もうひとつは、先にお伝えした中国事業が頓挫したことがきっかけです。エンジニア不足の解決の糸口となりうるこのプロジェクトを絶対に成功させたいと思っていたので、各紹介会社にビジネスの話から自らプレゼンさせてもらっていましたが、その事業に適任となる人がどこを探しても一人も見つからなかったのです。組織が立ち上がらないと当然その先には進めないので、事業は無念にも頓挫をしてしまいました。
事業責任者として事業を立ち上げられなかった悔しい経験もしたことで、「採用は事業を立ち上げて社会に何かを仕掛けていくためには絶対に失敗できない重要なファクトなんだ」ということを痛感しました。そしてこれと同じようなことが、C&R社だけではなく当時採用支援のために常駐していた多くのクライアントでも起こっていました。
この現実を目の当たりにして、「本当に会いたい人に確実に会える・話せるサービス」をつくりたいと考えるようになりました。

※この時の構想が、のちにエージェントセブンにとって強力な事業の柱のひとつとなるサービスー日本初の面談課金型で、”会いたい人と会って話せる本気のDirectスカウトサービス「PayCareer(ペイキャリア)」構想ーに繋がっていきます。

ー「人材紹介にもう一度打ち込みたい」という思いと、野村さん自身やクライアント様の多くが抱えていた「会いたい人に会えていないHR市場の現実を打破するためのプラットフォーム」を本気でつくりにいくために、一度リセットをされようと思ったのですね。

(野村)
そうですね。ちなみにこの時点でPayCareerの構想や仕組みは大枠できていたので、自分で会社を立ち上げることも多少は考えていたのですが。0から紹介事業とPayCareerのようなプラットフォームを同時に立ち上げて軌道に載せていくということを組織づくりも含めて全部一人でやっていくのはかなり大変な作業になるな、とも思っていました。
やりたいことをどういう風に実現させようかと考えていたときに、当時の同業(IT・Web系の人材会社)で数年前から付き合いがあった知人の仲介で、その次の転職先となる人材系ベンチャー企業の社長に出会いました。人材紹介に対する思いやPayCareerの構想をその社長と沢山お話しして、営業時間内では話し足りず、そのまま飲みにも行って。自分がやりたかったことを、うちの会社で一緒にやらないかと言っていただいて、すごくありがたかったですね。

温めていた新サービス「PayCareer」についても、構想当時の心境を語ってくださいました。
次回インタビューで詳しく掲載いたしますのでお楽しみに!

なおわたしが入社するタイミングはちょうど過渡期で、組織や制度も大きく変わるタイミングだったので、プレイヤー志望ながら結局マネジメントもやることにはなりましたが、本当に沢山の素晴らしい仲間に恵まれました。C&R社時代から行っていたクライアント様に常駐してオンサイトで採用支援を行う形の支援も含めてここでもいろんなチャレンジをさせてもらって、最終的には人材紹介事業を入社前と比較して500%成長させることができました。

ーこの人材系ベンチャー企業での仲間との出会いが、まさに「エージェントセブンの創業」に大きく関わってくるのですよね。
次回は、これまでの経験や体験の集大成としてエージェントセブンを創立された背景を深堀してお伺いできたらと思います。

※この記事を読んでエージェントセブンに興味をお持ちいただけた方は、ぜひ弊社のホームページものぞいてみてくださいね。

▼エージェントセブンのホームページ

▼エージェントセブンの採用ページ


















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