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【前編】公認会計士を目指した理由は?

公認会計士では珍しい物理学科出身の三上光徳さん
アガットイノベーション公式noteでは、SuBAL通信の執筆も担当されています。会計士予備校時代の苦労から、監査法人でのエピソードまで興味深いお話をたくさんに伺いました!

三上光徳 アガットイノベーション取締役副社長 公認会計士/税理士

紹介:岩手県宮古市生まれ、盛岡市育ち。東京工業大学理学部物理学科を卒業後、監査法人トーマツに入所。上場企業の法定監査や各種支援業務、株式公開準備会社の支援業務に従事。2014年に独立、2015年に株式会社アガットコンサルティング参画、2022年株式会社アガットイノベーションの取締役に就任。


第一弾 成長できる環境は自分で作る


—どんな学生時代を過ごしましたか?

小学生の頃から取り組んでいた野球ではピッチャーとして盛岡市の大会で優勝したり、勉強面でもテストは常に上位の成績をキープしたりと、充実した小中学生でした。


—幼少期から勉強に力を入れていたんですか?

いえ、いわゆる頑張らずとも上手くこなせるタイプの子供でした。笑

転機となったのは高校受験。県内トップの公立高校に落ちてしまった時です。それまで、努力せずとも良い点数が当たり前に取れていた私にとっては、初めての大きな挫折でした。自分よりも成績が悪かったはずのクラスメイトは合格したのに、なぜ私は…と本当にショックでしたね。
暗い気持ちを引きずったまま、私立高校の特進コースに入学しました。そこで一念発起して勉強に部活に打ち込む・・・という感じであればカッコよかったのですが、実際はそうでもありません。
なんとなくダラダラと過ごしてしまった高校生活の3年間のことは、今でも後悔しています。

ただ、修学旅行として行った、アメリカへの3週間の短期留学は印象に残っています。現地の様子を肌で感じたことで、海外で働くことへの興味を持つきっかけになりました。
高校卒業後は、埼玉の親戚の家で1年間、浪人生として勉強に励みました。せっかく勉強するなら一番上!と東京大学を受験しましたが、見事に跳ね返されてしまいました。結果は残念でしたが、チャレンジすることができたので、後悔は一切ありませんでした。


—大学で物理学科を志望した理由はありますか?

単純に物理が好きだったからです。他の教科と比べて、少ない武器(=基礎的な公式)で、強い相手(=難しい問題)を打ち負かせることが、勉強していてとても楽しく感じました。

会計士になってからも大切にしている『少ない武器でどう戦うか』、別の言い方をすると、いかに抽象度を高めて考えられるかという考えは、物理から教わりました。


—大学入学時から公認会計士を目指していましたか?

いえ、当時は研究者に憧れていました。しかし、入学してすぐに同級生たちのレベルの高さに圧倒されてしまいました。勉強量や努力だけでは、埋められない差があると教えられた出来事でしたね。入学から1ヶ月で研究者という道は早々に諦め、将来への漠然とした不安や焦りを抱えていました。

公認会計士という職業を知ったのは、大学3年生になってから。大学の生協で会計士予備校のパンフレットを目にしたことがきっかけです。元々ビジネスに興味はありました。実家が寿司屋を営んでいるので、商売というものが常に身近な環境で育ったことが影響していると思います。

パンフレットの「何千時間勉強して合格!」という言葉を読んで、それくらいなら出来るじゃん!と軽い気持ちで始めました。笑


—普通ならその勉強時間を聞いて尻込みしてしまいそうですが、逆に背中を押されたわけですね。

決意してからは、すぐに予備校への入校の手続きを進めました。大学での授業や、毎週の実験とレポート作成に加え、ゴルフ部の活動もあり、睡眠時間を削って予備校に通っていました。
勉強を始めてから1年ほど経った頃にようやく、会計士試験のレベルの高さに気がつきました。大学4年生で受けた1回目の短答式試験は不合格。大学卒業から1年半後の夏、3回目の試験でついに合格することができました。


—会計士の試験勉強中の思い出はありますか?

合格した3回目の短答式試験のことは今でもよく覚えています。試験後の自己採点では、ボーダーラインギリギリだったので、こんなに勉強してもまだ届かないのかと絶望しました。人生で一番の絶望でしたね。短答式の合格から、論文試験までの数ヶ月間は死に物狂いで勉強しました。

会計士試験は今までの高校大学受験とは違い、強制力がありません。試験を受けなくても誰にも怒られないし、何なら興味すら持ってもらえません。困るのは自分だけ。そんな中でモチベーションを保つのが難しかったですね。また、予備校の学費や生活費をアルバイト代でやり繰りしなければいけなかったのも苦労しました。試験は年に1回です。1年間の前半に多くお金を稼いで、そのお金をいつまで貯金して〜と、今思えば資金繰りを実践的に学ぶ機会にもなっていました。


—合格後は、監査法人トーマツに入所されていますね。

当時の4大監査法人の中で、一番体育会系で泥臭く仕事ができるのがトーマツだと思い、入所を決めました。
20代の頃は『成長しなければ』という焦りの気持ちを常に抱えていました。これは、高校3年間を無為に過ごしてしまった後悔や、大学受験と会計士試験の浪人によって計2年半の遅れをとってしまった不安から来ていたと思います。世間一般の新卒社会人が22歳に対して、私は25歳で監査法人に入りましたから。遅れを取り戻すためにも、厳しい環境に身を置きたいと考えました。


—実際に監査法人で働いて、望んでいた成長はありましたか?

はい。残業時間も気にせず、がむしゃらに仕事をしていました。割り当てられた仕事に加えて、別の仕事にもアサインしてもらえるように上司へ頼んだりしていました。「もっと仕事がしたい、成長したい」という私の我儘に真摯に答えてくれたという点でも、会社には本当に感謝しています。


—成長できる環境を自ら作り上げていたんですね。

入社1、2年目の頃には上司へ「仕事が楽すぎる」「もっと刺激が欲しい」と訴えたこともありました。笑

入社5年目には、会計士試験の合格者数が通常の3倍となったことが原因で、監査法人全体が人材過多になりました。例えば、それまで3人3日で仕上げていた業務を、6人3日で取り組むというような状況です。要は仕事の負荷が減り、とてもラクになりました。
しかし、この環境では自分の成長は見込めないと考え、部署移動か退職を願い出ました。上司はすぐに要望を聞き入れてくれ、人手が足りていなかった別部署への配属が決まりました。

部署異動後は、公認会計士の独占業務である“会計監査”業務以外に、“アドバイザリー”業務も多く経験しました。同じ監査法人内の仕事とはいえ、やるべきこと、持つべき視点が全く異なるアドバイザリー業務を経験できたことは、その後のキャリアにとって、大きな糧になっていると思います。


—監査法人に8年間勤めた後に、独立されています。入所当初から独立は視野に入れていたのでしょうか?

いえ、独立も頭にはありましたが、監査法人の従業員として勤め続けるという選択肢も持っていました。絶対にこうするということは特に決めていませんでした。

大手監査法人にいれば、個人では絶対に受託できないような大きな仕事に携わることができます。誰もが聞いたことがあるような有名大手企業と仕事をすることもできます。
しかし一方で、サラリーマンとして組織で動くことの息苦しさを感じたのも、また事実です。独立すれば、自分自身で全リスクを負うことになるものの、自分自身で決断し行動することができます。つまり、リスクを負う覚悟さえあれば、どんなことにもチャレンジできます。

最終的には、チャレンジしたいという思いが勝ちました。



—次回は、独立後のお話を伺います。いろいろな事業にチャレンジし、苦い思い出もあるとか…?お楽しみに!



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