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【怪談】 マンション

これは、私が以前住んでいたマンションで起きた出来事です

バブル華やかなりし当時、父親が購入したマンションは新築で、どの設備も新しくピカピカでした

実家から遠く離れた高校に進学した私は、世話をしてくれることになった祖母と2人でそのマンションに入居しました

初めて実家を離れ、慣れない土地での新生活でしたが、1人の部屋を持てたことが嬉しくて、ワクワクした毎日を過ごしていました

高校は進学校だったので授業についていくのは難しく、毎日たくさんの宿題と格闘する内に
深夜になってしまうこともしばしばでした

2年生になった年の冬のことです
その夜も遅くまで根を詰めて勉強し、
ベッドに入ったのは夜中の2時過ぎでした

ところがその晩は、集中し過ぎていたせいか、
ベッドに入ってもなかなか寝つけませんでした

頭も体もとても疲れていて、早く休みたいはずなのに、何故か全然眠気がやってこないのです

何だか変な夢を繰り返し見ているような感じがして、隣の部屋で寝ている祖母を呼びたいと思うのですが、どうしても起きることが出来ません

当時私はベッドの横に本棚を置いていて、
ベッドは窓と本棚に挟まれる格好になっていました

夢か現実かわからない朦朧もうろうとした意識の中で、ベッドの横にある本棚が
奇妙な感じに大きくなっていきました

そして突然、私の中に
「こわいこわいこわいこわい!」
という感情が湧いてきたのです

それは不意に毛穴から入ってきたような恐怖で、自分でも止められないものでした
そして抑えきれずどんどんどんどん強くなっていくのです

実を言うと以前にも何度かそういう状態になったことがあり、それが金縛りと呼ばれるものであることも知っていたので、ああまた来てしまった…と頭の中では冷静に考えていました

ところがその晩は、何かが違いました

それは私の夢の中の産物なのか、今ではもうわかりません
でも、時間を経てもその時の感覚ははっきりと覚えています

拡大した本棚の中の暗闇から、
何かが出てくるのが見えました
不思議なことですが、目を閉じていたのにもかかわらず、私にはそれがはっきりとわかったのです

闇の中から出てきたのは手のようなもので、
こちらに向かってにゅーんと伸びてきました

何かわからないものに襲われるという恐怖で、私はパニックの底に引きずり込まれました

「こわい!」がマックスになっている私に
その手は更に伸びてきて、
指を私の首に巻きつけてきました

その指はガッチリと首をつかみ、ものすごい力でぎゅーっと絞められました
体が動かないので声も出せず、息が出来ないまま私はもがくことさえ出来ませんでした

不思議なことに、首を絞められている間、
ずっとカーレースの車が走り抜けていくような
音が聞こえていました

これは何故なのか全くわからないのですが、
でもそれだけにやけに鮮明に覚えています

そのあと気を失ったのでしょうか

気がつくと朝になっていました

そんな体験をしたのはその夜一度だけで、
その後は高校を卒業するまで何も起きませんでした

ただひとつ、何となく気になっていることがありました

マンションの隣には昔から民家が建っていたのですが、そこに住むご家庭の息子さんが病を患っているらしく、よく車椅子で庭先まで出てきていました

その息子さんの病気は何だったのかわかりませんでしたが、いつも大きな声であ~! とかう~! とか叫んでいました

その悲哀を含んだような叫び声は、ほとんど一日中響いていて、もはや生活音の一部になっていたのですが、それは気づかぬ内に私の心理状態に影響していたのかもしれません

そのせいであんなリアルな感覚を伴った
恐い夢を見たのかもしれない

そう思うことにしました

高校を卒業した私は、大学進学の為に別の土地に引っ越しました

そして大学を卒業すると、その土地で就職をして二十年ほど暮らしたのですが、色々あって故郷に戻り、再びこのマンションに住むことになりました

昔住んでいた時とは違って、築年数も増え、当時は真新しかった設備もだいぶ古びてボロボロになったなあという印象を持ちました

そしてそのマンションでは、まだ不思議なことが起こり続けました

まず言っておきたいのは、隣の民家からはあの病気の息子さんの声は全くしなくなっていたということです

家は相変わらず建っていましたが、人気のない感じでしんとしていました

二十年も経っているわけだし、気の毒だけど、
もしかしたら息子さんは亡くなって、親御さんも引っ越して出て行ったのかもしれないな……
と思いました

そう思うと、毎日無意識にとはいえストレスになっていたのであろうあの叫び声が無いことに、一抹の寂しさを覚えたりもしました

ですが、それによって私が静かで平穏な生活を
送れるようになったわけではありませんでした

マンションの隣の部屋には娘のいる家族が住んでいるようだったのですが、毎晩夜になると、決まって父親と娘が大きな声で喋り始めるのです

親子仲がいいのは良いことですが、毎日午後9時頃になるとベランダに出てきて結構な声量で延々喋り続けるのには、何か異常ささえ感じてしまいました

そして、しばらく暮らす内に、
また新たに気になることが増えました

夜中になると、真上の階の部屋からドドドドドと、何かが走り回るような音が聞こえるのです
どうもそれは12時頃に始まり、30~40分続くようでした

それは振動を伴った割と重い音で、細長い間取りのマンションを玄関から居間までまっすぐに駆け抜けてはまた戻るといった風に、全体を駆け回るのでした

まるで元気いっぱいの子どもが走っているような感じです

夜中に子どもが走り回るなんて、うるさいなあ……

初めはただ、そう思っていました

けれどあまりにも毎日、きっかり夜中の12時から数十分、必ずその音が聞こえるので、段々気味が悪くなってきました

最上階に自治会長さんが住んでいるのは知っていたのですが、正直クレーマーみたいに思われるのが嫌だったのと、そして

「その部屋には今誰も住んでいませんよ」

とか言われたらどうしよう、と考えると恐くて聞く勇気を持てませんでした

とにかく、毎晩午後9時には隣の父娘の喋る異常なほど大きな声、夜中の12時には階上を走り回る子どもの足音のような音に耐えながら、1年ほどその部屋で暮らしました

そして、私が再びそのマンションを出るという日のちょうど数日前

屋上から、飛び降り自殺がありました

私はそれを夕方のニュースで知りました
そして、誰かから聞いたのか、何で知ったのかは忘れてしまったのですが、飛び降りたのは市外から来てこの市の高校に通っていた男子生徒だったそうです

いよいよこのマンションはおかしい

そう思いました

モヤモヤした思いを抱えて退去してから数年後、リーマンショックのあおりを受けてまとまったお金が必要になった我が家は、そのマンションを売ることになりました

幸いすぐに買い手が見つかり、スムーズに売却することが出来たのですが、新しく入居した人は大丈夫かなと、ちょっと気がかりでした

その人にも私が体験したようなことが起こって、「事故物件を売りつけられた」などと言って来られたらどうしよう
そんなことも考えていました

ですが、それらは何ひとつ確証の無いことですし、気のせいだと言えばそれで片付いてしまうことのような気もします 
金縛りにあって首を絞められたのも二十年も前のことですし、結局家族にも何も言えませんでした

私があのマンションで暮らしていた間に起きたことは、互いに何の関連も脈絡も無いもののように思えます

ですがよく考えてみると、それらにはひとつ共通点がありました

それは〝騒音〟です

隣の家の息子さんの叫び声に始まり、
金縛り中に聞こえていたカーレースの車の音、
隣の父娘の大声、そして階上を走り回る子供の足音と、
全てが騒音に関係しています

騒音 と言えば、ポルターガイストという言葉が浮かびますよね……

ドイツ語で「騒々しい音を立てる霊」という意味のこの現象は、
私も昔から知っていました

ポルターガイストというのは、ある特定の人物の周りで生じる特異現象なのだそうです

今思うと、あの頃、それら全ての騒音現象は、
私という特定の個人に矛先が向けられていたような気がします

更に、私の敬愛する怪談の大御所 稲川淳二さんが話されていたのですが、
17、8歳の娘がいる家庭ではポルターガイストが起きやすいのだそうです
あの金縛りを経験した時、私はちょうど17歳でした

そして二十年後に戻って来た時、ちょうど霊能力のある女性と知り合っていたのですが、その方に霊視してもらったところ、私の勉強部屋だった部屋の床に黒いドロドロとしたものが溜まっていると言われました

「別にそんなに悪いものではないから、部屋をよく換気すれば大丈夫ですよ」と言ってくれたのでほっとしたのですが、
あの部屋に、確かに何かがあったのだという確信にはなりました

もっとも、高校生の自殺と私の周囲に起きていた現象に繋がりがあるかどうかはわかりません

それから十年以上が経ちますが、あのマンション関連で事件のニュースを見たり、変な噂を聞くことはありません

今はどうなっているのか知るすべも無いあのマンションと関わることは、もう二度とないでしょう

けれど……

あの夜の、本棚から伸びてきた手のイメージと、首を絞められた時の恐怖の記憶は

今でもとてもリアルに私の脳裏に貼りついているのです

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