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【縣青那の本棚】 夏の吐息 小池真理子

短編集『夏の吐息』に所収された、表題作である。

『夏の吐息』という季節感満載の題名タイトルに惹かれて購入した短編集。直前に読んだ『恋』の余韻に引きずられて、小池真理子作品をもっと読みたいと欲してのことだった。
ちなみに、間に映画『無伴奏』の鑑賞を挟んでいる。

 昌之まさゆき、あなたがいなくなって六度目の夏が巡ってきました。

この独白で始まる物語は、わけもわからず突然失踪してしまった恋人に向けた想いを、二人のこれまでの経緯と共にモノローグ形式で綴っている。
俳優を志していた二人、その間に出来た赤ん坊の為に、小さなアパートで暮らし始めた日々。つわりで働けなくなった彼女を支える為に、アルバイトを掛け持ちして昼も夜も働いていた彼……。
借金も無く、身辺にトラブルの種となることも無かった彼がいなくなった理由はわからない。ただ、彼女は6年間の間に、3度彼からのものと思われる電話を受けている。
1度目、2度目は名残を惜しむかのような沈黙の尾の気配を引きながらぷつりと切れ、3度目は深い吐息が聞こえた。6年前に生まれるはずだった、流産してしまった我が子に言及した後だった。

――彼は、昌之は、何故失踪したのだろうか。様々なことが考えられる。

ひとつは、俳優として芽が出ない自分の人生がふと虚しくなり、心神喪失のような状態でふらりと出て行ってしまい、その罪悪感から戻るに戻って来られなくなったということ。

ふたつめは、アパートを出た後に何らかの犯罪めいたことに巻き込まれ、自由を奪われて帰るに帰れなくなっているといったケース。喧嘩っ早いところがあったというから、突発的な事件が起きたとして、考えられないことではない。何年かに一度、組織の目を盗んで電話をかけるが、彼女の身の安全を思えばどこにいて何をしているということは一切言えない。

最後の可能性は、彼女がふと想像したように、とっくの昔に亡くなっていて、どこかの見知らぬダムの底か、樹海の奥深くに白々とした骨となって埋まっている……。
とすれば、彼は6年にも渡ってあの世から3度も電話をかけてきているということになるが、そうなるともはや怪談の域に入ってきてしまう。
けれど、昨今盛んに披露される数々の実話怪談において、死者があの世から電話をかけてきたりメールを送ってきたりするエピソードは多く語られており、視聴者にとっては半ば常識化しているといった現状もある。なのでこういった現象が起こり得るという可能性も頭から否定は出来ない。

だが、いずれにせよ、その〝吐息〟を聞いた瞬間から彼女は「時空を超えてあなたを待とう」と決心する。
生きていようといまいと、彼の〝不在〟という現実はそこにある。
その日聞いたまぎれもない〝彼の吐息〟は、あらゆる状況を越えて、有機的に、、、、、彼女との繋がりを再構築したのだと思う。そしてその繋がりによって彼女にもたらされた「時空を超えて待つ」という決意は、「何か壮大な、きらきらした、真新しい夢」のようなものになって彼女を包み込もうとする。「しかもその夢は同時に、夏の午睡のようにけだるく、おとなしく静まり返ってもいる」。

彼女の暗く塞がっていた心に穴が開き、一瞬の光明が差し込んだように思える。

けれど、吐息によって変換を遂げた彼の〝不在〟からの〝存在〟は、新しい出発を決意した彼女の瞳にまた涙をもたらす。

彼女の持って行き場の無い想いが中心を占め、一気に迫ってくるラストシーンに胸が詰まる。

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