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映画『碁盤斬り』感想 落語×時代劇の職人映画

 落語と時代劇の掛け合わせは良いとしても、人情と武士道の両立はあまり上手くいってない気がしました。映画『碁盤斬り』感想です。

 身に覚えのない罪を着せられ、故郷の彦根藩を追われた浪人・柳田格之進(草彅剛)。現在は、江戸の貧乏長屋で娘の絹(清原果耶)と共に貧しい暮らしをしている。囲碁の名手である格之進は、同じく囲碁を趣味にする商人・萬屋源兵衛(國村隼)と、とある縁で手合わせをすることとなる。格之進の手筋に惚れ込んだ源兵衛は、事あるごとに格之進と囲碁を打つようになり、その実直さに影響されていく。ある夜、格之進は旧知の藩士・梶木左門(奥野瑛太)から、自身の冤罪が、柴田兵庫(斎藤工)によるもので、妻の死にも兵庫が関わっていた事実を知る。激しく怒りを滾らせた格之進は仇討ちを決意するが、その一方で萬屋では紛失した五十両の大金が、格之進の仕業ではないかと疑われ始めていた…という物語。

 『凶悪』『ひとよ』『孤狼の血』シリーズ、『死刑にいたる病』などで知られる、白石和彌監督による初の本格時代劇映画。加藤正人さんによる脚本で、古典落語『柳田格之進』をベースにして書かれたオリジナル作品だそうです。草彅剛、清原果耶、國村隼人という布陣が最高なので、観てまいりました。
 
 世界観としては、かなりスタンダードな時代劇となっていますね。白石監督らしい血生臭くドロドロとした空気は皆無で、江戸の時代風俗を眺めるための映像が続いています。その中で、時折、現代的な斜めの角度のショットが差し込まれることで、変化や緊張感を与えるような演出になっているように思えました。
 落語噺がベースになっているのもあるせいか、序盤は本当に穏やかな空気感が続いていきます。そしてやはり囲碁の手筋がモチーフとして重要になっているように見えます。といっても、囲碁のルールすら満足に理解していないので、何となくそう感じるだけなのですが。物語は囲碁を知らずとも理解出来るように作られてはいますが、囲碁を知っている人の方が映画的な堪能を楽しめるのかもしれません。
 
 穏やかな人情が描かれれば、次のお決まりは仇討ちとなるわけで、この辺りもしっかりと「時代劇」をやってくれています。ここからはピリッとした空気感になり、従来の白石監督作品に近い雰囲気を感じるものになっていきます。草彅剛さんの演技も良い意味で、らしくない演技というか、タレントとしての草彅くん的な演技で魅せるタイプだったのが、しっかりと侍モードになっています。清原果耶さんの武家の娘という気高い雰囲気になっていくのも流石です。
 それと同時に、商人である國村さんの源兵衛と中川大志さん演じる弥吉、音尾琢真さんの徳兵衛らの、ポンコツ振りが対比されるように際立つものになっています。落語人情部分は、この侍物語の前フリになっているんですよね。
 
 ただ、流石にその落語的な空気と、シリアスな侍の空気を並べるのは無理があるようにも思えました。消えた五十両も、最初から商人側の不手際であることが明らかだし、落語なら「マヌケだねぇ」という感想になるけれども、武士道モードになっている物語で見せられると「シャレにならねぇだろ!」とムカついてしまいます。
 
 けなげな娘の絹のおかげで仇討ちの旅に出るのはいいのですが、大晦日のリミットで設定された絹を取り戻すための五十両と、宿願である仇討ちが、何かセットになっているように錯覚してしまう流れになっている気がしたんですよね。五十両の借金返すのと、仇討ちは全然別の行動だし、娘を取り戻そうとせず諦めているなら、仇討ちを大晦日までに急ぐのもよくわからない気がします(仇を血眼になって探しているといえばそうなんですけど)。
 
 時季の移ろいを表現するのに、祭りなどの風俗描写で表現するのは、時代劇ものとしての職人的演出ですね。囲碁と同じくこの辺りを詳しい人なら、より一層楽しめたかもしれません。
 多少、予定調和的で、結末も予想した以上のものではありませんでしたが、そこは落語であり、やはり時代劇というものだからなんだと思います。不正を見過ごせない堅物だった格之進が、逆に不正を頼み込むという変化も、良い落とし方だと思います。ただこの部分も、もう少し堅物感を序盤で出して欲しかった気も。娘のウソ泣きで店賃(家賃)を引き伸ばすのは不正じゃないのか? とか意地悪な見方をしてしまいました。
 
 白石監督らしい表現はあまり出てきませんが、白石監督は結構企画に沿って職人的に映画を作るタイプの監督でもあるんですよね。その監督としての職人技を魅せるための作品だったように感じられました。


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