見出し画像

ADHDと診断されて思うこと。


ADHD_noteです。


今回は、ADHDと診断されて思うことについて書きたいと思います。

私は成人後、”原因不明の生きづらさ”によって心療内科を受診し、30代でADHDの診断を受けました。
(10代の頃からパニック症状などを定期的に繰り返し、心療内科などに通院したことはありました。)

先に結論を言えば、私は診断を受けて良かったということしかありません。
(※私個人的な意見ですが、専門書やネットの当事者の書いた情報などを見ていても、”ADHDの症状が重度(後述)であればある方ほど” 本人にとって診断のメリットが大きいように見えますし、『診断を受けて良かった。』と思っている方が多い気がしています。)

以前私は、ADHDのある、私の ”話し方” という記事を書きました。


この記事では、私が学生の頃からの、”話し方の特徴” などについて書きました。

要するに、10代の頃(診断をされる前)から、話し方をはじめ、”私自身”と、”私の生活上の特性(生活習慣)” など、診断される前と後で基本的なこと(ADHDの症状自体)は何ら変わりないという事実があります。


言い換えれば、大人になって突然症状が強くなり始めたとか、
診断をされたから、
症状が強くなったということは、一切ないわけです。


さて、ここからは少し、
ADHDで起こる症状や特性について説明したいと思います。
(※この後の内容は、あくまでも私個人的なものを中心としていて、全てのADHDの方に同じ症状が出るということではありません。ADHDには様々な合併症(他の発達障害の合併)や、二次障害(他の精神疾患の発症)などを併発している場合もありますし、ADHDの主症状である、不注意、多動・衝動性については、個々人によって、障害に強弱の違いがあり、大きく個人差があります。

ADHDそのものの症状については、
不注意型と言って、”不注意特性”だけの方も居れば、
多動衝動型と言って、”多動や衝動性”の方が強く出る方も居ます。
あるいは ”混合型” と表現されることが多いですが、”不注意” と ”多動衝動” の症状がどちらも出るというタイプもあります。

繰り返しになりますが、
どの症状だとしても、当事者ごとによって、強弱に大きな違い、個人差が出ます。

ちなみに私は ”混合型” (ADHDの検査結果でどちらも ”強度” ) です。

説明が長くなりますが、
実は、ADHDに限らず、"発達障害"というもの自体、まだまだ分かっていないことも多く、(症状自体が確実に存在すること(=無くは、ないこと)は判明していますが)発症のメカニズムなどについては研究途中であったり、時代によって診断基準も変わっています。

たとえば最新の精神医学基準では、ADHDの ”混合型” という呼称について、(医学的には)無くなっているとか、”アスペルガー症候群”という言葉が無くなっていたりするようです。
(要するに ”混合型”とか、”アスペルガー” という言葉は、”以前の定義”で使われていた言葉ということです。)

このように、発達障害、ADHDの症状は数多くあり、さらにその定義も時代によって変化するため、診断については精神科の医師でも難しい(発達障害のことを理解していない、もしくは詳しくない医師もいる)と言われています。
中には、「発達障害などというものは存在しない」とか、「障害でも、病気でもない」などと主張していたり、「発達障害は、生活習慣や食習慣の改善で完治する」などと明言する医師もいるようです。

ご自身がADHDなのか(ADHDでないのか)、それはどれくらいのレベル(強弱)の症状であるのか?などを知りたい場合には、必ず発達障害を長年(10年20年などのスパンで)検査や診察をしている、専門的な病院(心療内科や精神科)に相談を受けられることをおすすめします。

もちろん”知らない権利”だったり、”知らない自由”というものもありますから、「検査や診断はしない!」という選択肢もあるとは思いますが、診断を受けない限り、本当に自分がADHDかどうかについてはわかりませんし、(特に重度の場合)早い段階で服薬を始めること(どの薬が自分に合うのか、合わないのか)だったり、社会福祉を享受する際の行政への申請などを考えると、診断をすることでメリットは多くなる(逆に診断が遅くなればなるほどデメリットとなる)と、私個人的には思っています。


さて、
基本的に(特に多動衝動性の)ADHDが強い私の頭の中は、特性による ”多想” の症状によって、頭の中で次々にいろいろなことが(勝手に)浮かんでは消えて、浮かんでは消えて・・・ということを常に繰り返されている状態です。
(※ ”多想” というのは、頭の中で ”連想ゲーム” のように常にいろいろなものが次々に思い浮かんで消えるという状態のことで、私が個人的にそう呼んでいる、いわゆる ”造語” です。)

ちなみに意識せずに、勝手に思い浮かんでいることも多いです。
(実際は何かを見たり聴いたりすることで連想のスイッチが入り、そこから連想ゲームのように思考がつながって行くパターンが多いです。)


私は、ADHDと診断される前から、”多想”が当然のこと(誰もがそうである)と思っていました(他の人の脳で生きたことが無いので、わからないのも当然です)が、実際にADHDについて調べたり、診断されてから、過去を振り返ったりしてみると、

『確かに、自分がおかしい(多くの人とは違っていた)』と思わざるを得ない症状が数多く当てはまりました。

とてもわかりやすい例としては、

『なぜ、”学校の授業” や、"職場の会議" で、周りの人たちは長時間集中していられるのだろうか?』

『なぜ、学校や職場で、先生や上司に言われたことを、周りの人たちは忘れずに実行できる(=結果的に”約束を守る”ということ)ができるのか?』

『なぜ、学校や職場で、先生や上司に言われたことを、すべて受け入れられるのだろうか?』

などが最たる症状でしたが、他にもいろいろな私自身の ”謎” (=生きづらさ)が解明できた気がしています。


実際に定型発達(健常者)と、どれくらい違うのかはわかりませんが、
ADHDの診断をされたことで、
気が散る” "集中できない" ”モノを失くす” "忘れ物をする” ”遅刻をしがち” ”先送りしてしまう” ”突発的に怒りやすい” "こだわりがある” ということだったり、”まぶしい” ”臭い” ”うるさい” ”暑い” ”不味い”など、感覚過敏から起こる不快な感情ということが、脳の違いによって、定型発達の人よりも起こりやすくなっているということが、より理解できるようになりました。


今、発達障害(と思われるような)症状により困っている方は、診断を受けることについて検討するのも、生きやすくなる一つの方法ではないかと思います。


わたしは、”原因不明の生きづらさ” を感じている人には、ぜひ精神科受診をおすすめしたいと思います。


ちなみに画像は、『あ~、そういうことだったんだ!』的な画像。

Free-PhotosによるPixabayからの画像



いただいたサポートはADHDの発信、啓蒙・啓発活動や、クリエイターとして自らを高めるために活用させていただきます!