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A Course in Miracles 取り組み方と秘訣

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A Course in Miracles を学んでいく上での重要なこと、注意すべきこと、知っておいたほうがいいこと、などについてのコラム
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#一元論のスピリチュアリティ

「つながる」ということについて

「つながる」ということについて

一なるものとしてつながっている一体性「つながる」とは、すべてのものとつながるということです。

それは、全体とつながるということであり、そうでないならば、それは「つながる」とはけっして言いません。

もし全体とつながるのでないならば、それはただ分離を強化しているにすぎないということです。

その一例が、この世界(形態)の中でみんなとつながろうとする試みです。

形態におけるつながりは、全体とつなが

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自我か?聖霊か?その選択について私たちが理解しておかなければならない重要なこと

自我か?聖霊か?その選択について私たちが理解しておかなければならない重要なこと

あくまでも神話であることを忘れないことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践において私たちは、

自我か?聖霊か?

その選択の訓練をしていくことが求められているわけですが、

ここで私たちが理解しておかなければならない重要なことがあるといえます。

つまり、私たちがわきまえておかなければならないのは、自我(幻想)を実在化させてしまっているからこそ、その訂正である「聖霊」という概念があり

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コースの理論を「第1レベル」と「第2レベル」の二つのレベルに分けて捉える

コースの理論を「第1レベル」と「第2レベル」の二つのレベルに分けて捉える

形而上学上の理解の混乱を起こさないようにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は一元論、いわゆるノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティ(霊性の道)であることは周知のとおりです。

私自身もさまざまな一元論、非二元のスピリチュアリティを探究してきたわけですが、私がコースを学ぶようになって素晴らしいと思ったのは、その教えを「第1レベル」と「第2レベル」の二つのレベルに分けて捉えていくという

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普遍的な体験は可能であるばかりか必要である

普遍的な体験は可能であるばかりか必要である


私たちは真理について理解することなどできない真理や非二元について探究する者たちにとって知っておかなければならないのは、

「私たちは真理について理解することなどできない」

ということです。

それは、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学習者である私たちにとっても同じことが言えます。

個としての自分(自我)にとって、その全体である真理などわかり得ないということです。

それが何を意味するのか?

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興味がある、関心がある、というだけではコースを学んでいくことは不可能です

興味がある、関心がある、というだけではコースを学んでいくことは不可能です


本気でないなら、わざわざ難解なコースを学ぶ必要がない近頃は、ノンデュアリストの方々もコース(奇跡のコース/奇跡講座)について語りはじめたり、興味を持ちはじめている傾向が出てきているようです。

そういうこともあり、コースに関心を持ち始める方も増えてきているといえるでしょう。

ただ、興味がある、関心がある、というレベルでは、コースを学んでいくこと、さらには理解していくことは不可能だといえましょう

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何度も繰り返してコース形而上学を学んでいくことがとても重要です

何度も繰り返してコース形而上学を学んでいくことがとても重要です


コースは私たちが思っているようなものではないもし、「自分はコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)をもう理解している、自分はコースがどういうものかを分かっている」というふうに思っているとしたなら、

むしろ、その自分はコースをまったく理解していないと思ったほうがよいでしょう。

なぜならば、コースが教えていることが理解されていくならば、コースについてそんなふうには決して思えなくなるからです。

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コース学習の一番の近道は?

コース学習の一番の近道は?

コースが教えている内容を理解できるようになるためにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は実践的、実用的な霊性の道だと言うことができます。

ただし、その実践をしていくためには、コースの形而上学(理論)を理解していないかぎり、その実践などできるわけがないということは言うまでもありません。

コースが教えていることを理解することなしに、どうやってコースの実践ができるというのでしょう。

当然なが

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