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#教室
コースでは肉体、世界、時間をどのように捉えていくのか?
否定の中でもとりわけ無価値な形の否定コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、一元論のスピリチュアリティであることは言うまでもありません。
その中心概念が、「この世界は幻想である」というものです。
それが何を意味するのか?というなら、この肉体も、この世界も、実在しないということです。
だからといって、この肉体やこの世界を否定していくことがコースの実践でしていくことではありません。
コ
コースのテキストを理解することなしに、その学びも実践もあり得ません
テキストを理解することの重要性コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学びはじめるならば、誰もがコースは難解だと感じることでしょう。
なにせコースの学びはじめというものは、本編三部作の「テキスト」「ワークブック」「教師のためのマニュアル」を読んだとしても、なかなか理解できるものではありません。
なぜ、コースがそれほどまでに難解に思えるのか?
というなら、
それらは私たちが慣れ親しんで
コースでいう「自学自習」の意味について
教えているのは誰か?学んでいるのは誰か?私たちはスピリチュアリティ(霊性の道)の道を歩むときに、自分の外側に教師を作り出す、ということをします。
それがいけないということではありませんが、私たちはそのことについて充分に注意する必要があります。
とくに、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は自学自習(独習)で学んでいく霊性の道であるからして、気をつけなければならないことだといえましょう。
コースの学びのプロセスにおいて混乱や苦しみが湧き起こってきたなら
コースはけっして楽な道ではないコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びのその途上において、理解の混乱が起きたり、あるいは、コースを学ぶことが苦しくなるということが起きたりします。
コースが正しく学ばれていくならば、そういうことは学びのプロセスにおいて誰もが経験していくものです。
むしろ、混乱や苦しみといったものが湧き起こって来ないということは、コースの学びが進んでいるとは言い難いといえ