マガジンのカバー画像

A Course in Miracles 学習&実践レポート

108
『A Course in Miracles』(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、もりGが体験的に理解したこと、実際に修得していっているもの、その成果として体…
運営しているクリエイター

2022年1月の記事一覧

自我がしていることに対して笑って見れるようになるために

自我がしていることに対して笑って見れるようになるために


一歩下がる、一歩退くこの世界から手を引く。

この人生から手を引く。

この自分から手を引く。

私たちは最終的そのようになっていくわけですが、それは、形態のレベル、行動のレベルのことを云っているのではありません。

それを形態のレベルと混同するならば、まったく意味のないことになるどころか、トンチンカンなことになってしまいかねません。

そして、そういうことは、これまでの歴史上でもほとんどの求道

もっとみる
コースが神聖なのではなく、その内容が神聖なのだということ

コースが神聖なのではなく、その内容が神聖なのだということ


コースの学びが深化していくときコース(奇跡のコース/奇跡講座)の教えを理解するようになってくると、つまりコース形而上学を理解するようになると、ときに、兄弟に対して、あるいは自分自身に対して、コース形而上学を武器にして咎める、裁く、攻撃する、ということをしてしまうことがあります。

実際に、この私もそうでした。

コースの教えを歪曲している他のコース学習者に対して咎めたり、裁いたり、あるいは、コー

もっとみる
自我から見るならば、すべてが深刻です

自我から見るならば、すべてが深刻です

自我から見るのか?赦しから見るのか?コース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践において私たちがしていくことは?

というなら、

自我から見るのか?赦しから見るのか?

の選択なのだといえます。

この世界を見るとき、二つの見方があるのだということです。

それをコースでは。

自我を教師するのか?聖霊を教師とするのか?

というふうな言い方をします。

コースの観点から見るならば、この世界には二つの

もっとみる
苦しみがもはや苦しみではなくなるとき

苦しみがもはや苦しみではなくなるとき

私たちは「幸せ」とは何なのか?をまったく分かっていない幸せとは何か?

というとき、

私たちは「幸せ」とは何なのか?をまったく分かっていないと言うことができます。

誰もが「幸せ」というものを追い求めてはいるものの、実際のところ、私たちは「幸せ」が何なのか?分からずに追い求めているということです。

というのも、私たちはこの世界に自分を幸せにしてくれるものがあるかのように見ています。

ただし、

もっとみる
どれも同じく等しく幻想ならば

どれも同じく等しく幻想ならば


良きも悪しきもこの世界で起きることに良きも悪しきもありません。

というのも、そのすべてがどれも等しく実在していないならば、そこに良いも悪いもあるでしょうか。

幻想は、幻想にしかすぎません。

つまり、無、でしかないということです。

それが何を意味するのか?というなら、

そもそもが無でしかないならば、私たちは無いものに対して良し悪しの価値判断をしているにすぎないということです。

そう、良

もっとみる
自我との同一化から脱却して、解放されていくために私たちがすべきこと

自我との同一化から脱却して、解放されていくために私たちがすべきこと


自我について、自我の思考体系について知るコース(奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶとはどういうことか?

というなら、コース学習者は聖霊の思考体系について学んでいくことはもちろんのこと、 自我の思考体系についてもしっかりと学んで、そして理解していくことが求められているということです。

なぜなら、それらを理解することなく、聖霊と共に自我を直視するという実践などできないからです。

まず私たちが知らな

もっとみる
私たちは神の愛を恐れて、神の愛から逃れるためにこの世界にいるということ

私たちは神の愛を恐れて、神の愛から逃れるためにこの世界にいるということ

なぜ私はこの世界にいるのか?「私」という存在は何なのか?

なぜ「私」は、天国(ワンネス)ではなく、分離の世界にいるのか?

というなら、その答えは、私たちは神の愛を恐れているからです。

神の愛を恐れているから、私たちはこの世界にいるのだということです。

神の愛を恐れていないなら、もはやこの世界になどいないはずです。

「私」はこの世界の中に居ると信じていることが、そういうことです。

私たち

もっとみる