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2022年5月の記事一覧
目覚めのプロセス~学びの階梯について
「短期的な赦し」と「長期的な赦し」真理から言えば、目覚めは「一瞬」なのだといえます。
というのも、それは時間のない領域のものであるからです。
ただ、私たちはこの今もまだ時間(と空間)の中にいるわけです。
ここで私たちが知っておかなければならないのは、時間の中に囚われている私たちにとっては時間が必要であり、その時間をどちらの目的で使っていくのか?が私たちに問われているということです。
よう
私はもっとお金が必要です
ひたすら不幸や惨めさに献身している私たち「私はもっとお金が必要です」
「お金はないよりも、あったほうがいいに決まっている」
それは誰もがみんな共通して信じている信念です。
それは、たとえ大金持ちであろうと、貧乏であろうと、そういうこととは一切関係なく誰もが抱いている信念だといえます。
「お金なんてまったく要らない」と本気で思っている人などいるのでしょうか。
つまるところ、このマネー社会
なぜこんなにも人生が生きづらいのだろう、と思ったことありますか?
自分の考え方や価値観を見直すときに、自分ではにっちもさっちもいかず、どうすることもどちらに行くこともできない状況に突き当たるときがあります。
その行き詰まり感はとても堪え難いものです。
私たちはそれを「絶望」と呼んでいます。
ただし、別の見方からするならば、そのときこそが自分の考え方や価値観を見直す転機(ターニングポイント)であると言うことができます。
「人生のターニングポイント」は誰に
ワンネスをこの幻想世界の中に反映した知覚とは
幻想としてすべてを同じとして見る巷のノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティでは、「この世界は幻想、すべては愛でしかない、だから大丈夫」というふうな見方をしていて、その実践は「平安になりましょう、リラックスしましょう」というふうな学び方をしているといえます。
ただし、コース(奇跡のコース/奇跡講座)は、同じノンデュアリティのスピリチュアリティではありますが、その学び方も実践の仕方もまったく
コースの学びが進んでいくとどんなふうになっていくのか?
忘却のベールが持ち上げられていくときコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが進んでいくとどのようになるのか?
ということでいうなら、自分の内側の罪、罪悪感、恐れというものがもっと頻繁に湧き上がってくるようになると言うことができます。
いわゆる、内側に内在しているものに対して微細になっていく、というふうにも言い換えられます。
言い方を換えるなら、光に近づくにつれて真理に対する自我の防衛(抵抗
私たちは幸せになるためにこの世界にいるのではなく、じつは、その真逆である
無意識のレベルが明らかになっていくとき私たちは誰もが幸せになりたいと思っています。
誰一人も幸せになりたくない人などいません。
だからこそ私たちは幸せになろうとして、この世界で日々をあくせく生きているわけです。
そんな人たちの中でも、物質的なものでは幸せにはなれないと気づいた者たちはスピリチュアルにその幸せを求めはじめるわけです。
そしてさらには、スピリチュアルですらも満たされることのなか
聖霊/イエスとの完全なる同一化を目指して
兄弟の中にキリストを見るとは?「兄弟の中にキリストを見る」とは、どういうことをいうのでしょう?
私たちはつい言葉通りに、そのように見ようと実践しがちになりますが、実際の実践はそうではありません。
そもそも、兄弟をキリストとして見ようとしても、そのように見れるものではありません。
ましてや、その対象(相手)が自分にとっての憎悪の対象者であるならば、なおさらのことです。
私たちが知っておかなけ
この世界の夢の外側から私たちを見たらどのように見えるのか?
イエス/聖霊は私たちをどのように見ているか?コース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践を通して赦しの視点から見るならば、私たちが体験しているこの世界は夢であることが明らかになります。
そのすべてが虚偽(夢の中)であることが分かるということです。
そして、本当の自分(真の自己)はその夢の外に居るということも、イエス/聖霊はその視点から見ているということも、体験的に理解されることになります。
そこか