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A Course in Miracles について

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『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
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#聖霊の視点

「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか

「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか

「奇跡に難しさの序列はない」についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の中で奇跡の第一原理として示されている概念が、「奇跡に難しさの序列はない」というものです。

この概念は、コースを実践していくうえで、もっとも理解しておくべき重要な考え方です。

というよりも、私たちがこの世界の夢から自由になっていくために必ず修得しなければならない考え方であるということを知っておきましょう。

むしろ、

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「赦しの視点」とは、つまりそれは、「悟りの視点」である

「赦しの視点」とは、つまりそれは、「悟りの視点」である


自分が「悟り」に到達するのではない非二元の霊性の道を歩んでいく上で私たちがよく勘違いをしてしまうのは、自分が目覚めるのだと思ってしまうということです。

自分と思っている自分が「悟り」に到達するのだと思ってしまうわけです。

「目覚め」「悟り」とは、まったくそういうものではないということを知っておくとよいでしょう。

「目覚め」「悟り」とは、むしろ、その自分こそが非実在なのだと受け入れたそこにあ

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この世界の夢の外側から私たちを見たらどのように見えるのか?

この世界の夢の外側から私たちを見たらどのように見えるのか?

イエス/聖霊は私たちをどのように見ているか?コース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践を通して赦しの視点から見るならば、私たちが体験しているこの世界は夢であることが明らかになります。

そのすべてが虚偽(夢の中)であることが分かるということです。

そして、本当の自分(真の自己)はその夢の外に居るということも、イエス/聖霊はその視点から見ているということも、体験的に理解されることになります。

そこか

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コースの学びと実践を通して、私たちは何を成し遂げようとしているのか?

コースの学びと実践を通して、私たちは何を成し遂げようとしているのか?


これは聖霊の思考体系をマスターしていくための道であるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、私たちは何を成し遂げようとしているのか?

というなら、その目的は、自我の思考体系から聖霊の思考体系への完全なるシフトだと言うことができます。

それは、自我(二元性)の思考体系から完全に自由なるということを意味します。

もちろん、ワンネス(実相/真理)に目覚めることが最終的なゴ

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「いまここ」「プレゼンス」「ただ在る」について

「いまここ」「プレゼンス」「ただ在る」について


心を忘れた状態から心を自覚した状態へ聖霊の視点とはいったいどういうものなのでしょう?

それは、

自分が存在していることも、
自分が考えていることも、
自分が体験していることも、

そのすべてが妄想の夢の中で起きていることだと知って(悟って)いる視点だと言うことができます。

すべてが非実在の夢だと気づいている視点です。

その視点は、この時空(時間と空間)のドラマが展開されている外側にありま

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聖霊やイエスは私たちやこの世界をどのように見ているのでしょう?

聖霊やイエスは私たちやこの世界をどのように見ているのでしょう?

コースは聖霊/イエスと同一化していくための霊性の道である私たちがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶとき、自我(の思考体系)について、そして、自我の力動について学んでいくことになります。

それはなぜなら、自我と同一化している自分を自覚できるようになるために、です。

というのも、私たちはすでに自我と同一化してしまっているからです。

そのことを自覚/認識するようになるとき、そこからが

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人生を軽やかに楽に生きていようがいまいが、そういうものから自由になる

人生を軽やかに楽に生きていようがいまいが、そういうものから自由になる

人生を軽やかに楽に生きる!?悟りとか非二元のスピリチュアリストたち、いわゆる、ノンデュアリストの方々が、「人生を軽やかに楽に生きる」というような言葉をよく口にしたりしますが、その言葉には充分に注意しなければなりません。

どういうことなのか?

というなら、

私たちは真理に目覚めて、悟って、人生を軽やかに楽に生きられるようになりたいと思うわけですが、それは私たちが思っているようなものではないとい

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