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2022年3月の記事一覧
スピリチュアルでいう高次元世界とは
幻想は幻想でしかないスピリチュアルでいう高次元世界とは、いったいどういうものなのでしょう?
非二元から見るならば、それがどんなに高次元、高波動なものであろうと、幻想は幻想でしかありません。
それらすべてが神のひとり子が見ている夢にしかすぎないということです。
つまり、それらは本当は「無」なのです。
それが、純粋な非二元の教え(真理)です。
真理から見るならば、この世界の夢を見ていること
「人生を軽やかに楽に生きる」という言葉には十分に注意しましょう
人生を軽やかに楽に生きる!?悟りとか非二元のスピリチュアリストたち、いわゆる、ノンデュアリストの方々が、「人生を軽やかに楽に生きる」というようなことを謳っていたりしますが、その言葉には充分に注意しなければなりません。
どういうことなのか?というなら、
「人生を軽やかに楽に生きる」ということは、「軽やか」ではない人生、「楽」ではない人生、それが良くないことというふうに捉えているということです。
全知全能なる神のひとり子が自分自身にやってしまったこと
そもそも神のひとり子は全知全能であるわけです。
つまり、何にでもなることができるし、どんな体験でも望めば叶えることができるわけです。
要は、その神のひとり子が、神ではない自分になってみたいと願望したその結果として、今私たちはそれを体験していると言うことができます。
「神ではない自分」とは、まさに、自分だと思っているこの自分のことです。
その象徴(シンボル)こそが、この肉体(身体)です。
他のノンデュアリティのスピリチュアリティにはないコースの教えの特徴
真理ではないものを見つけ出していくコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、さまざまな霊性の道の中の一つの道にしかすぎないと言うことができます。
というのも、コースだけに限らず、「非二元(ノンデュアリティ)」「悟り」「真理」に至る(思い出していく)ためのスピリチュアリティ(霊性の道)はいくつも存在しているからです。
ですから、コースについて述べるとき、特別な非二元の霊性の道であると位置付け
ノンデュアリストとコースの実践者とのちがい
私たちが自我について学ぼうとしない理由非二元の探究者やノンデュアリティのスピーカーさんたちのことをノンデュアリストと呼んでいるわけですが、私がそのノンデュアリストさんたちを見て思うことがあります。
それは、自我について語るノンデュアリストがあまり見られないということです。
まったくいないというわけではありませんが、そのほとんどが非二元や真理や愛やワンネスといったものについてフォーカスして語る