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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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#聖霊のヴィジョン

どのような考え方で、どのような実践をしていくのか?について明確に理解していくこと

どのような考え方で、どのような実践をしていくのか?について明確に理解していくこと

コースのイエスや聖霊は、この世界を、そして私たちをどのように見ているか?について学ぶ私たちは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を通して何を学んでいるのか?

というなら、

これまで私たちが知覚している見方とはまったく異なる知覚の仕方があるのだということを学んでいるといえましょう。

というのも、私たちはそのもう一つの見方があるということをすっかり忘れて見失ってしまっているからです。

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そこに知覚されるものが虚偽であるとわかるとき、そこに見えてくるもの

そこに知覚されるものが虚偽であるとわかるとき、そこに見えてくるもの


「ここ」が自分の居る場所私たちは何のためにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのか?

というなら、もちろん、「神のもとに帰る」「わが家に帰る」ことが目的なわけです。

そんな私たちが知っておくべきことは、ここではないどこかにわが家(天国/神の国)があるのではないということです。

本当は、ここがわが家(天国/神の国)なのです。

もちろん、この世界(宇宙空間/時空間)は幻想(

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正しい知覚(真の知覚/ヴィジョン)を修得していくことを目指して

正しい知覚(真の知覚/ヴィジョン)を修得していくことを目指して


それは何のためのものか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践における考え方において、その特徴的なところは目的で見ていくというところにあるといえます。

いわゆる、それは何のためか?というところにフォーカスしていくということです。

それは何のためのものか?

その目的は何か?

日常におけるコースの実践においては、そこにフォーカスしていくということです。

ただし、自我はそこにフォー

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聖霊のヴィジョンについて

聖霊のヴィジョンについて

聖霊のヴィジョンとはどういうものか?聖霊はどのように見ているのか?

聖霊のヴィジョンとはいったいどういうものなのか?

それは、「赦しの視点」「赦しのまなざし」というふうに呼ばれています。

今回は、

聖霊のヴィジョンとはどのように知覚されているのか?

そのことについて書いてみようと思います。

「聖霊のヴィジョン」というものについて、それはきっときらびやかな至福と喜びに満ち溢れたようなもの

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苦しみの正体とは

苦しみの正体とは


自分が見ている世界の被害者ではない自分が誰で?自分は何をしているのか?

私たちはそのことにまったくもって無知な状態になっています。

仏教では、それを「根本無智」または「無明」と呼んでいます。

私たちはこの世界に(生きて)いるというふうに思っていますが、

それが何を意味しているのか?

というなら、

私たちはまったく幻想を信じ込んでしまっているということです。

それによって、自分が何者

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時間の中にいる私たちにとっては、目覚めに至るまでのプロセスがある

時間の中にいる私たちにとっては、目覚めに至るまでのプロセスがある

一瞬にして目覚めるわけではないコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいる私たちがしていく実践とは、「聖霊と共に見る」「聖霊を教師とする」ということだといえます。

それというのも、私たちはすでに自我を教師としてしまっているので、まずはそのことを自覚/認識して、それを訂正していく必要があるわけです。

私たちは「聖霊と共に見る」「聖霊を教師とする」という訓練を通して、聖霊の視点(ヴィジョ

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自我はどうしたってどうなったとしても自我であることに変わりありません

自我はどうしたってどうなったとしても自我であることに変わりありません

自分と思っている「自分」について私たちがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学びはじめるとき、この個人の自分がコースを学んでいると思っています。

ただし、コースの学びが深まっていくある段階において、自分だと思っている「自分」は自我(間違った心)であることを自覚/認識するようになります。

つまり、自分だと思っているその「自分」こそ、本当は実在していない、嘘、ニセモノだと分かってくるという

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