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どのような考え方で、どのような実践をしていくのか?について明確に理解していくこと

コースのイエスや聖霊は、この世界を、そして私たちをどのように見ているか?について学ぶ

私たちは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を通して何を学んでいるのか?

というなら、

これまで私たちが知覚している見方とはまったく異なる知覚の仕方があるのだということを学んでいるといえましょう。

というのも、私たちはそのもう一つの見方があるということをすっかり忘れて見失ってしまっているからです。

しかも、そのまったく異なるもう一つの知覚のほうこそが、本来の自然な見方、つまり正しい知覚であるというのに、です。

ちなみに、その正しい知覚のことをコースでは、「真の知覚」「無垢なる知覚」あるいは「聖霊のヴィジョン」と呼んでいるわけです。

ようするに、私たちはコースの学びを通して、聖霊の見方、聖霊の考え方、聖霊が見ている視点、といったものを学び、そして修得していくことを目指しているということです。

その実践的手段を、コースでは「赦し」と呼んでいます。

その「赦し」は、この世界を知覚している間は、私たちの機能(役割)として果たすべきものであるわけです。

つまり、本当は、それ以外にこの世界で私たちがなすべきことなど何もないということです。

コース学習者である私たちは、正しいものの見方、考え方を修得していくことが求められているということです。

そのために私たちはコースを学んでいるということを忘れてはなりません。

本気でコースの霊性の道を歩もうとする者たちは、自分の見ているこの世界や、人生や、自分の体験することのすべてをそのための学びの場(「教室」)としていくことでしょう。

それは、この世界を、この人生を、これまでとはまったくちがう目的で見るようになるということです。

自分は何のためにこの世界にいるのか?

自分は何の目的でこの世界を見ていくのか?

実際、私たちすべての者たちに共通して、その選択肢はいまここに与えられています。

そう、コース学習者の私たちは毎瞬舞瞬、その選択肢に居るのだということ、そして自分にはその選択の力があるのだということを思い出していくために「赦し」を実践していくということです。

つまりそれは、この世界に目的は二つしかない、ということを思い出していく訓練なのだということです。

この世界の夢を見続けるのか?
それとも、
この世界の夢から目覚めるのか?

であり、それをコースでは、

自我の目的か?
それとも、
聖霊の目的か?

というふうに言っているということです。

コースの実践で私たちがしていくことは、とてもシンプルです。

ただし、その実践はシンプルとはいえ、そう簡単ではないということも知っておかなければなりません。

まず最初は、コースの教えを日常で実践していくことすら、そう簡単ではないと実感することでしょう。

コースの実践を根付かせていくためにも、コース形而上学をしっかり理解していくこと、そしてそれを日々適用していくことを怠らないことです。

そう、コース形而上学を理解していくことは、コースの道を歩んでいく上でなくてはならないものだということを覚えておきましょう。

逆に、それなしでは、実践も訓練もあり得ないということを肝に銘じておきましょう。

あなたは奇跡志向の考え方に慣れていない。しかし、訓練することでそのように考えられるようになる。奇跡を行う者たちはみな、その種の訓練を必要とする。(T-2.Ⅶ.1:9-10)

奇跡講座/中央アート出版社

このコースという霊性の道は、心の訓練を要する道であり、しかも、長期的なプロセスを要する道であることを知っておくと良いでしょう。

コース学習の歩みはひと縄筋にはいかないということです。

その訓練の土台となるのが、形而上学のしっかりとした理解です。

どのような考え方で、どのような実践をしていくのか?について明確にしていくことが大事だということです。

ようするに、コースの学びを通して本気で目覚めていこうと思っているのであるならば、コース形而上学、つまり、コースの思考体系を学んで理解していくことが必須だということです。

コース形而上学が根付いていくならば、それがこの霊性の道の歩みを助けてくれますし、さらには先の一歩へと前進させてくれるものとなっていくでしょう。

では、

コースの学びと実践が深まっていくとどうなっていくのか?

というならば、

コースのイエスや聖霊がどのような考え方で、どのような見方で、どのような視座(視点)からどのように見ているかということが体験的に理解されていくと共に、それこそが私たちの本来の自然な当たり前の知覚であるということが分かってくるといえます。

コースを学んでいる私たちはその知覚を修得することを目指しているのであるということ、そしてコースはそれを完全に修得(マスター)していくための霊性の道であるということが理解されるわけです。

そうなるならば、当然、その学びと実践はますます妥協のないものとなっていくということです。

言い換えるならば、コースの見方、考え方がなおさら自分にとって自然なものとなっていくということを知っておくと良いでしょう。


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