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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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2022年3月の記事一覧

赦しは全一的なものでなければならない

赦しは全一的なものでなければならない

すべては等しく幻想であり、その例外はないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の教えの中心概念となるものが、

「世界は幻想である」

というものです。

それは、この世界で起こっていることのすべてが嘘である、ということを意味します。

でも、そういうことを知的に理解していてもほとんど役に立たないのが実状です。

ですから、私たちはコースの学びと実践を通して、そのように見ることのできる真の知覚を修得して

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「奇跡」はなぜ時間の短縮になるのか?

「奇跡」はなぜ時間の短縮になるのか?


すべてを知る者から探究者となってしまった私たち本来は、私たちは「一なるものとしてつながっている一体性(ワンネス)」(T-25.Ⅰ.7:1)であるわけです。

それを、「神」あるいは、「神の国」「天国」と呼んだりしています。

あるいは、「智識」と呼んでいます。

つまり、私たちは本来、智識そのものであるということです。

智識とは、すなわち、すべてを知っている状態を言います。

本来の私たちはそ

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問題を認識しないかぎり、真理を知っているだけでは何の役にも立たない

問題を認識しないかぎり、真理を知っているだけでは何の役にも立たない

問題を認識することの重要性この世界は幻想です。
この世界は実在しません。
分離は起きていません。
私たちは一つ(ワンネス)です。
すべては愛です。

非二元の観点からいうなら、それが真理であり、それが答えです。

ただし、私たちが知っておくべきことは、その答えを知っているだけでは、私たちがこの世界の夢から目覚めていくためにはほとんど役に立たないということです。

この世界が幻想だといくら分かってい

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神の平安よりも、私たちは苦しみのほうを望んでいる!?

神の平安よりも、私たちは苦しみのほうを望んでいる!?

一切の夢を放棄するワークブックレッスン185「私は神の平安を望む」というレッスンがあります。

あなたは、本気で神の平安を望んでいるだろうか?

と、その中でコース(奇跡のコース/奇跡講座)のイエスは私たちに訊ねています。

コースが教えていることを理解していくにしたがって、私たちは「自分は神の平安などまったく望んでいない」ことを自覚していくことになります。

というのも、「一切の夢を放棄すること

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肉体について、コースではどのように見ていくのか?

肉体について、コースではどのように見ていくのか?

肉体とは肉体とは何か?

というなら、コース(奇跡のコース/奇跡講座)では、自我のシンボル(象徴)という言い方をしています。

つまり、特別性、個別性の象徴だということです。

また、それは不完全さの象徴でもあります。

実際に、傷つくことができますし、死というものが必ず来ます。

まさに、不完全で、脆弱で、卑小で、有限な存在としての象徴であり、その証しとなっているのが、まさに肉体です。

本来は

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愛について

愛について

愛をこの世界に反映したものが「赦し」です愛について言えることは、私たちは愛を知らないということです。

もっと正確に言うならば、この世界にいる私たちはまったくもって愛を忘れた状態になっていると言うことができます。

というのも、「自分はこの世界に居る」と信じているということ自体が、愛を忘れている状態であるからです。

ちなみに、コース(奇跡のコース/奇跡講座)でいうところの愛は、普段、私たちが「愛

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「リラックスする」「いまここにくつろぐ」という言葉に騙されないように

「リラックスする」「いまここにくつろぐ」という言葉に騙されないように


私たちには学ばなければならないことがある重要なことは、いまここにリラックスすること、いまここにくつろぐこと。

そんなふうにノンデュアリティのティーチャーさんやノンデュアリティのスピーカーさんたちは言います。

でも、そのような実践はほとんど役に立たない、助けにならないといえるでしょう。

というのも、実践してみれば分かることですが、それではうまくいかないからです。

不安や恐れといったネガティ

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