FKJ
・ウユニ塩湖
ひょっとすると誰もがテレビなどで一度は見たことがあるかもしれない、ウユニ塩湖。
ボリビアの南西部にあるアンデス山脈に位置する世界最大の塩原。
標高は3,600mの位置にあるそうだ。
「天国に最も近い場所」
見渡す限り広大で平坦な世界。
もともと海だった場所が干上がり、塩湖になった場所である。
面積は東京都の約5倍(!)の大きさとして有名な塩湖だ。
湖内の高低差はわずか50cmしかなく、これが雨季(12月~3月頃)になると塩湖に水がたまり、鏡面のように空や雲を映し出す。
そう、空と大地の奇跡の芸術品が姿を現すのである。
果てしなく広がる天然自然の神秘は、驚嘆の言葉しか思い浮かばない…。
「死ぬまでに1度は訪れたい絶景の場所」
旅行会社がキャッチフレーズでつける言葉でそんな表現を聞いたことがある。
確かに。
生涯で1度は訪れてみたいものだ。
広大な塩原では自然のエネルギーと神秘の世界が広がる。
そのような場所で人々は何を思うのか…。
果たして言葉は必要ではないかもしれない。
だが、自然のパワーと人のテクノロジーが混ざりあうと、「言葉」を超越した無限の可能性を感じさせる新しい自然と人の交流である「文脈」が生まれることすらある。
そんな可能性を感じさせる。
・FKJ
FKJ
1990年生まれ。
フランス・トゥールで生まれ育ったミュージシャンであり、音楽プロデューサーも兼ね備える。
本名はヴィンセント・フェントン。
マルチ・プレイヤーとして活躍し、ピアノやギター、ベースといった楽器にサックスやサンプラーも使いこなし歌も歌ってしまう、まさに「ザ・俺」的なアーティスト。
楽器の演奏の勉強はYouTubeなどを見て独学で勉強したそうだ。
FKJのライブでは、楽器を演奏しながらその音をルーパー(演奏したフレーズを記録し、半永久的に再生する機材のこと)で重ね合わせて、一人で何役もこなしつつサウンドを作り上げていくスタイルで唯一無二のライブ・パフォーマンスだ。
ちなみに名前のFKJは「French Kiwi Juice」の略である。
これはFKJの母親がフランス人、父親がニュージーランド人。
キウイ(Kiwi)はニュージーランドの特産で、ジュースは血を示しているそうで、フランス人とニュージーランド人の血がミックスされているというイメージからこの名前にしたそうだ。
FKJの類まれなライブ・スタイルについて…。
音楽と観光を同時にプロモーションするライブ・ストリーミング・メディア「セルクル(Cercle)」に出演した際に前述したウユニ塩湖でのライブ・パフォーマンス動画がある。
2019年にアップされた動画で、塩湖が鏡のように照り返し煌々と輝く太陽を背景に一人音楽と向き合うインパクト大の演奏動画だ。
澄み渡る空に、この祝祭をメモリアルなものに演出するかのように浮かぶ少量の雲達。
太陽はひたすら明るく、塩湖の魅力を思う存分に照らし出しFKJと共に空間をドラマティックなものにしている。
鏡のように空を映し、塩湖は雄弁に空と大地と会話しながらFKJの演奏に聴き入り、吸収し、音の香りを纏った「アンビエント・ミュージック」として発せられる。
FKJの演奏はひたすらに空間に溶け込み、ビートの効いたフレンチ・ハウス的なノリやチル・アウトなサウンドは、塩湖とそれにまつわる景色達と絶妙に絡まり、空間に昇華されているわけだ。
地球からの贈り物である大地や海、木々といった「自然」と人が生み出した人工的な「機械」。
その自然的なものと人工的なサウンドは相反しているようで、その実抜群の相性を作り出し、見事なケミストリーを生み出している。
ブラック・ミュージックに影響をうけたというFKJ独特のグルーブ。
一つ一つの「音」達はFKJによって選び抜かれた「音」である。
なのでエフェクターによってループされたサウンドは機械的に繰り返されつつも、そこにはFKJが選び抜いた音という人の温もりも兼ね備えた音響になっているわけだ。
そのサウンドはひたすらに塩湖に共鳴し、空と太陽と向き合い、リラックスした空間を作り出している。
音と自然が融合したそのポジティブな流れ。
ゆったりとしたメロウな流れは、彼方の記憶へ辿り着く…。
オーガニックなテクノロジー・サウンドはFKJにしか生み出せないものなのかもしれない。
特にFKJがサックスを演奏しているシーンがより、自然界と混ざり合っている印象を受ける。
サックスの音はウユニ塩湖とひたすら相性が良いのか?
そんなことさえ感じてしまう。
ええ、個人の勝手な感想ですが。
何はともあれ、FKJの「ウユニ塩湖でのライブ・パフォーマンス」。
動画は1時間半とボリュームのあるものなので、全部は…。
っかもしれないが、少しだけでも見るのも有りかもしれない。
どんな感じで自然と向き合い、一人で様々な楽器と競演しているかが分かるので(^^)/
・「VINCENT」
さて、2019年のウユニ塩湖のライブ後も精力的に活動を行ってきた(サマソニ2019にも出演している)わけだが、2020年に起きたパンデミックにより、忙しかったスケジュールが空白になってしまう。
そのような状況下でFKJは南国にある現在の生活拠点、そしてホーム・スタジオで一人音楽に向き合うことになる。
そのように本人が振り返る、2022年に発表した2枚目のアルバム「VINCENT」。
2017年に発表した1枚目のアルバム「FRENCH KIWI JUICE」以来、5年ぶりに発表した今作。
アルバムのジャケット写真にあるように、南国の自宅兼スタジオと思われる場所での写真がそのオーガニックなサウンドの作品性を示している。
制作スタジオや、南国の大自然の中で撮られた写真はFKJ一人。
FKJの音楽性、それは全てを基本的に一人で演奏するスタイル。
あらゆる楽器を操り、奏で自らの気に入ったフレーズを繋ぎ合わせて構築していく独自のサウンド。
基本バンドでセッションをしたりして楽曲を作り出すことはないのだとか。
そのこだわりぬいたスタイルは「一人」であることが重要だということと同時に、全てが自らの中で帰結するがゆえに「ホーム・スタジオ」での制作が重要なことなのかもしれない。
そして本人のインタビューにあるように、ロックダウン直前から行われたアルバム制作。
必然的に物質間の移動が制限された時期だ。
なおさらに自らのパーソナルな場所が、その創作的知性を研ぎ澄ましていたのかもしれない。
その創作現場であるパーソナル・エリアにつらなる、南国の大自然。
FKJのレイドバックされ、エレクトロニカを駆使しながらも自らの奏でる生音を紡ぎ合わせた、オーガニックなフィーリングは大自然に帰結するものである…。
それは2019年に行われた、ウユニ塩湖での大自然と対話しながらのライブに現れているように、抜群の相性を発揮する。
トラップをビートの主軸に人間の中枢部を刺激し、肉付けされる各楽器の凛としながらも優しく響く音達…。
限りなく自然界に寄り添うようにして、編み出された澄んだ音色は大げさに言ってしまえば自然界で聴こえる音よりも、より「自然的」なのかもしれない。
更にFKJのサウンドは「自然」と「人工」のバランスが絶妙なサウンドだと感じる。
温かく柔らかいヒーリング音楽のような、陽光に満ちたサウンドでありながらも、温かさを内包している無機質なビートを刻んでいたりしているので、自然が豊かな場所に限らず都会的な場所でもとてもマッチする。
「アーバン・ネイチャー」
っとでも言おうか。
都市に流れるあらゆる時間にもそのサウンドはどのようなシーンにも結び付き、そして素晴らしい時間を享受できる。
大自然に寄せられたアンビエントなサウンドを主軸に置きながらも、制作スタジオで見られる無数の楽器達…。
その自然な部分と、人為的な部分が上手く混ざり合っているので色々なシーンにも溶け合っていくのであろう。
モダンで都会的な響きを奏でながらも、オーガニックでヒーリングに満ちたサウンド。
なるほど、多様な音楽性はFKJという二つのアイデンティティ(フランスとニュージーランド)を表したような名前が示しているのかもしれない。
アルバム「VINCENT」はそのような特性を内包しつつ、ドリーミーでリラックスした雰囲気を醸し、ちょっとしたノスタルジックな気持ちにもさせてくれる。
自宅スタジオで音楽に向き合い、真摯に音楽を構築してきた成果だろうか。
何とも表現力豊かな作品だ。
エレクトロやネオ・ソウル、アーバン・ジャズやヒップ・ホップ、さらには民族的な音楽やアンビエントな音楽などあらゆるジャンルに刺激を受けて作られた「VINCENT」。
そのバランス的な部分を重要視した作品は、ひょっとすればFKJの頭の中に蓄積されている膨大な音楽の断片を繋ぎ合わせたものなのかもしれない。
遠く幼き頃からの記憶を掘り起こすかのように…。
ドリーミーさや、ララバイにも似た曲調はそのような部分もあるのかな。
いずれにせよFKJという音楽の大きなプラット・ホーム、そして心地の良い揺りかごに身を委ねるのは何とも贅沢な体験なのかもしれない。
そんなことを考えさせてくれるように、ひたすらに好きなアルバムだ。
・曲紹介(ごくわずかに)
アルバム・オープニングナンバーの「WAY OUT」。
家のドアが開く音から全ては始まる「VINCENT」の世界…。
ノスタルジーな気分にさせてくれるキーが高めのピアノ音が静かに始まり、絶妙に絡まり合うストリングスの音色と時折鳴るオルゴールの音色。
懐古的なトラップのビートが人としての脈動を演出する。
サックスの絶妙な匙加減や、「WAY OUT」の声のリフレイン…。
全てがサウンド・スケープ、音の風景となって現在だけではない、あらゆる時間軸を浮き彫りにさせる。
PVにあるように、自然の中に佇む遊園地に接しているかのような心地を想起させるナンバーとも言えようか。
「WAY OUT」は「遠く離れた」という意味だそう。
それは単純に距離感を表しているのか、今まで生きてきた時間の蓄積を表現しているのか、もしくは人が想像する作品性とは遠くかけ離れたもの…
「独創性」というものを言い表わしているのか…。
いずれにせよFKJの素晴らしさを感じれるオープニングナンバーだ。
2曲目の「GREENER」。
FKJは過去に色々なミュージシャンとコラボレーションを行い、作品を作りあげていった。
マセーゴやトム・ミッシュなど…。
そしてこの曲では大御所サンタナとコラボしている。
ラテン・ロック界の大御所カルロス・サンタナ。
1947年生まれなので作品当時はおそらく75歳位だ。
一回りも年の違うFKJとのコラボは実に興味深い楽曲になっている。
静かに、ただラテンの情熱も内包したサンタナのリード・ギターが効果的に静寂の世界を闊歩している…そんな印象。
そのロング・サスティーンの甘美なギター・ソロがより情緒を編み出している。
その涼やかな情熱に沿って、独白のようにして歌うFKJの声と、南国を想起させるかのような彩り豊かなビートが曲のバランスを整えている。
メロウでいて、ラテンのホットな部分も感じさせるアルバムの中でも随一のカッコイイナンバーだ。
8曲目の「Different Masks For Diffrent Days」
インストゥルメンタルナンバー。
都会の夜に鳴り響く、情緒あふれる軽やかなサックスの音色。
ピアノの感動的な調べが確実に脳内を刺激していく中、ベースとトラップのビートが鼓動を鳴らす。
その鼓動に突き動かされるように一人の男が街を踊り、クリエイティブに音楽を体で表現する。
その前衛的な表現はアーバン・ソウルのニュアンスを刻む楽曲と強い親和性を生む。
それは複雑な感情をも表現しているのか。
ジャジーで、チル・アウトなサウンド・スケープ…。
都会の夜を彩るサックスの音色はやはりグラマラスだ。
そしてPVでどこかしらのお店でピアノを鳴らすFKJの演奏は、この作品の重要なパーツなのかもしれない。
何ともドラマティックなナンバーだ。
9曲目の「A Moment Of Mystery」
宙に浮いたような足取り。
シンセサイザーや、ストリングスがスペーシーに響き、ゆったりとしたリズムは後ろで鳴り響くピアノの音と共鳴し、独特の心地良さを生む。
トロ・イ・モアのヴォーカルをフィーチャーしており、モアの声の特徴を最大限に生かすかのような曲作りに曲を聴いていて感じてしまう。
最初のエコーがかった声から透き通るようにして進んでいく曲調は、やはりピアノとシンセサイザーの音の対比という部分も大きく貢献しているのではないかと思ったり。
過去の記憶の断片を探るような…。
スローなテンポが一日の終わりに合っているのかもしれない。
っとまあ、ザっとアルバムの中で自分の好きな曲について書き記してみました。
・最後に
他にも鈴の音が響き、子守歌やララバイに通ずる楽曲があったり、ハウス的にリズムを刻み展開しつつも、様々な音がサンプリングされて独自のグルーブを発生さっせてくれるアップ・テンポな曲があったりと楽曲のバラエティーは様々だ。
何よりも全ての楽器を弾き、FKJの音楽に対する熱い思いと音楽の「文脈」のようなものを感じる楽しみもあるのかもしれない。
その独創的で、様々なバックボーンを感じさせるFKJの2枚目のアルバム「VINCENT」。
自分的にきっとどのような場面でもしっくりとくるようなレイドバックされたサウンドだと思ったりしてます。
ひたすらにグッドバイブスに溢れた楽曲達は、自然にも、人間にもいい影響を与えるんじゃなかろうかと。
唯一無二…。
これ以上ないピタリとした表現なのかもしれない。
FKJはこの6月に東京と大阪でライブを行う。
昨年のフジ・ロックでの出演以来、約一年ぶりの来日公演。
フジ・ロックで見た時のあの感動を忘れない。
果たして今回はどのような実り溢れる時間を演出してくれるのか…。
その「親和性」の高い音楽を是非とも堪能してみたいものだ。
記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!
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