瀧口美和@短歌を詠む人

短歌を詠む人。ときどき詩を書く人。いつか自分の歌集・詩集を出版するのが目標です。 自分…

瀧口美和@短歌を詠む人

短歌を詠む人。ときどき詩を書く人。いつか自分の歌集・詩集を出版するのが目標です。 自分の作品や、ほかの方の作品の感想、短歌そのものについてここでは書いていきます。 右も左も分からないので、何か不手際があったらご指摘いただけると嬉しいです。

最近の記事

永久の平和を祈って

祖父を追うように祖母逝きいまだなお戦後の風のなまあたたかき 人権の虚しい響き ねえあの日人間だって思われていた? 命ってこんなに重くこんなにも脆い両手ですくう白砂 決断を迫られ続け玉音は令和の世にもなお響きおり 暑いとき暑いとこぼすくらいには生きたいと言ういきたいと言う 戦争はないけど平和とも呼べぬ日の本にいて祈る 眠るように

    • 国語を学ぶということ

      小学5年だったから6年だったかうろおぼえなのだけど、森鴎外の『高瀬舟』が国語の教科書に載っていて、その授業で「喜助の行動は正しかったのか」を考える時間があった。 病に苦しみ自害を試みたが死にきれなかった弟に、とどめを刺した喜助。もちろんそれは弟の希望だった。 喜助の行動は殺人という悪事なのか、それとも弟を苦しみから救った善行なのか。 当時の私はいかなる理由があっても人を殺すのはいけない、と意見を述べた。命というものは何より大切で、どんな大義名分があろうとそれが覆ることがない、

      • 百人一首を散らかす 26.貞信公

        百人一首は、「小倉百人一首」とも称されます。これは選者の藤原定家が、小倉山のふもとにある別荘で百首を選出したことに由来すると言われています。 小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ 作者の貞信公とは、藤原忠平のこと。決して歌人として有名ではありませんが、定家は縁ある小倉山の歌を、百人一首の中にも残しておきたくて選んだのかもしれません。 藤原忠平という名前は、日本史の授業で聞いたことのある人も多いと思います。関白藤原基経の子で、第二十四首作者の菅家こと菅原道

        • 百人一首を散らかす 25.三条右大臣

          久しぶりの散らかしになってしまいました。 今年の大河ドラマ、『光る君へ』を毎週楽しみにしているのですが、観ていると平安の文化に触れたくなってしまい、もう一度記事を書こうと筆を取った次第です。大河の最終回までにはせめて紫式部の歌を解説したい…! さて百人一首第二十五首はこちらの歌。 名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな 初見では歌意が分かりづらいかもしれません。 「名にし負はば」は“名として持っているならば”。何が、名として持っている、のかと言えば、

        永久の平和を祈って

          永遠の愛

          一瞬は光であった 僕はやすらぎを覚え すべてを委ねていいと錯覚した 心地よい轟きと 夢よりも夢のような現実 真理なんて二の次で 僕は駒になった あれから幾年 針穴のような宇宙に僕はとじこめられ 夜明けの白を待ち望み 過去を信じられなくなる 僕の声に雲は震えず 僕の涙に空は動ぜず 僕の嘆きに時は流れて 孤独に舞い絶望に狂う その罰は永遠 その罪は愛 僕は愛に汚れた

          永久の平和を祈って

          戦争の記憶は耳に注がれてDNAをひたしつづける 暑いただ暑いと思う幸せをあの夏みんな奪われていた 土ぼこり素足切り傷白い旗鮮烈すぎるセピアの写真 繰り返し学んでおりぬ学んだら繰り返してはいけないことを 戦争は無くなるだろうかAIがすべての人を教育すれば 心から祈り心で考える平和を明日もあつき平和を

          永久の平和を祈って

          瀧口のコメダ愛 〜ジェリコ〜

          キラキラにクラッシュされた憧れは少し苦くて喉越しがいい/瀧口美和 コメダ珈琲店のオリジナルメニュー、ジェリコ。適度にクラッシュされた自家製コーヒージェリーに冷たいドリンクを合わせ、ホイップクリームをたっぷりのせた、魅惑の逸品です。 写真は期間限定の「ジェリコ 加賀棒ほうじ茶」です。 こちらほうじ茶の香りをしっかり感じる和テイストのジェリコ。ほうじ茶好きの私、大満足でございました。 通常のアイスコーヒーのジェリコもたいへん美味でございます。きめ細かいコーヒージェリーとキン

          瀧口のコメダ愛 〜ジェリコ〜

          瀧口のコメダ愛 〜アイスウインナー〜

          今日ご紹介するコメダ珈琲メニューはアイスウインナー。 きんきんに冷えた漆黒のアイスコーヒーに、なめらかな純白ホイップクリーム。奇跡のマリアージュ。 コメダ珈琲のホイップクリームは、いついかなる時もちゃんと甘いです。最終的にはコーヒーと混ざってしまいますが、まずはクリームだけひとくちふたくち、スプーンで掬っていただくのが瀧口流。アイスの飲み物を覆うホイップは、冷たいのもあいまって食感もしっかりもったりしているので、満足感が凄いです。多少のストレスはホイップクリームを口にする

          瀧口のコメダ愛 〜アイスウインナー〜

          瀧口のコメダ愛 〜コメダブレンドとモーニング〜

          Twitterで「 #いいねの数だけコメダ珈琲店で注文してそれにまつわる短歌む 」 という企画をやっています。 小さい頃祖父について初めて来店した時からコメダラバーの私です。 短歌で語りきれなかったコメダ商品の魅力をあらためてお伝えしたく、noteも書くことにしました。とは言えあくまで気まぐれです。書かない時もあるかも。 ふと吹けば立つさざなみにそれぞれの生きた月日が乱反射する/瀧口美和 ブラックコーヒーって夜の湖面みたいですよね。コメダ珈琲は老若男女いろんな方がいるの

          瀧口のコメダ愛 〜コメダブレンドとモーニング〜

          木枯らしも悩んでいる

          生まれてこなければよかった人なんてひとりもいないよ、と 冬の高い空みたいに美しく虚ろな綺麗事 必要とされていないことは自分がいちばん分かっている それでいて僕のかわりはいないってどこかで信じてる 目に見えない痛み抱えている人ばっかりで そのうちの幾何(いくばく)が僕のせいならばとてもこわい 誰かの命をあたためたい 大丈夫だって包みたい 少しでも力になりたい それなのに 斬り刻まれそうに冷たい 木枯らしが今日も吹き荒れる このままじゃ何も変わらない 頬に透ける紅(あか)に手

          木枯らしも悩んでいる

          百人一首を散らかす 24.菅家

          このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに 百人一首第二十四首はかの有名な菅原道真のこちらの歌。 百人一首では尊称の「菅家」という表記で登場します。 有名すぎて説明するまでもないかもしれませんが、道真は若い頃から学問に優れ、故に現在に至るまで学問の神様として信仰されています。 今も太宰府天満宮、北野天満宮などは合格を祈願する学生たちで賑わっているのではないでしょうか。 まだコロナ禍のさなかですので、受験生の皆さんには気を付けてお参りしてきてほしいものです。 現代で

          百人一首を散らかす 24.菅家

          百人一首を散らかす 23.大江千里

          秋はだんだんと空気も冷え澄んで、くっきりと夜空に張り付く月は、やはり一年で最も見ごたえがあると感じます。 しかし格別なその光は、麗しさゆえに孤高の存在に思われ、肌寒さも相まって、どこか物悲しさを覚えたりもします。 平安の歌人も同じことを考えていたようです。 月見れば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど 百人一首第二十三首は大江千里のこの歌。 大江千里はのお父さんは、大江音人という漢学者でした。 この音人さんは平城天皇の孫であり、十六首在原行平、十七首在原業平さ

          百人一首を散らかす 23.大江千里

          百人一首を散らかす 22.文屋康秀

          本日は巧いこと言った感のあるこの歌。 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ 一字決まりの歌ですね。 一字決まりってなんだか皆さま覚えてらっしゃいますでしょうか。 詳しくは4つ前の百人一首を散らかしてください! こちら比較的意味は分かりやすい歌かなと思います。 「吹くからに」の「からに」は、”~するとすぐに”という意味です。 「しをるれ」は「しをる」の已然形ですが、漢字で書くと”萎る”。 「むべ」は”なるほど”や”いかにも”と言う意味を持つ副詞。

          百人一首を散らかす 22.文屋康秀

          百人一首を散らかす 21.素性法師

          今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 百人一首第二十一首は素性法師のこの歌。 素性法師は第十二首の作者・僧正遍照の子であり、父の意志で自身も出家しています。 「今来む」は”すぐ来る”の意。 「長月」は九月のことですが、陰暦の九月ですので、今の感覚だとひと月ほど先のもっと秋が深まった頃です。 「有明の月」は月齢二十六日頃の月で、夜明けでも月が空に残っていることからこう呼ばれます。 「すぐ行くと(貴方が)言ったばかりに、九月の長い夜の夜明けの月が出る

          百人一首を散らかす 21.素性法師

          百人一首を散らかす 20.元良親王

          わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ 第二十首は元良親王のこちらの歌。 元良親王は第十三首の陽成院の第一皇子です。 しかし陽成院が譲位してから誕生した皇子であるため、即位はもとより立太子も叶いませんでした。 風流人として知られ、吉田兼好は『徒然草』に、元良親王の元日の奏賀の声が非常に素晴らしく遠くまで通っていた、と記しています。 和歌の才能を生まれ持ったタイプのプレイボーイで、多くの女性との贈答歌が現代にも残されています。 また弟の元平親王とかわりば

          百人一首を散らかす 20.元良親王

          百人一首を散らかす 19.伊勢

          久しぶりに女流歌人です。 難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこのよを過ぐしてよとや 激しい恋の歌です。 「難波潟」は大阪湾の一部で蘆の名所として知られていました。 蘆の生えた入り江のひらけた風景が浮かんだと思ったら、「短き蘆のふしの間も」で、ぎゅっとズームします。 初句二句が「ふし」を導く序詞になっており、視点の緩急をスムーズにつなげている印象。 「逢はで」の「で」は打消しの助動詞なので、“逢わないで”の意。 「逢ふ」とは男女が深い仲になるという意味もあります。 「

          百人一首を散らかす 19.伊勢