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百人一首を散らかす 23.大江千里


秋はだんだんと空気も冷え澄んで、くっきりと夜空に張り付く月は、やはり一年で最も見ごたえがあると感じます。
しかし格別なその光は、麗しさゆえに孤高の存在に思われ、肌寒さも相まって、どこか物悲しさを覚えたりもします。
平安の歌人も同じことを考えていたようです。



月見れば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど



百人一首第二十三首は大江千里のこの歌。
大江千里はのお父さんは、大江音人という漢学者でした。
この音人さんは平城天皇の孫であり、十六首在原行平、十七首在原業平さんの異母兄弟にあたります。
千里は二人の甥になるわけですね。


いきなり余談なのですが、確か、同じお名前のタカラジェンヌの方がいらっしゃったと思います。
宝塚では、以前は百人一首由来のお名前がよく使われていたそう。
以前友人に勧められて宝塚の映像作品を拝見し、劇場にも一度足を運んだのですが、あそこはキラキラと美しく深い沼ですね。
これ以上趣味が増えるのは困るので、この沼に足を踏み入れていいか長いこと悩んでいます…
もう沼の縁に足の指をひっかけている状態ではあるのですが…


話を百人一首に戻します。

この歌も現代人にとって比較的分かりやすいですね。

冒頭「月見れば」は、第二十首の元良親王の「わびぬれば」と同じで<順接確定条件>です。
今回は”月を見ると”と訳します。

「千々に」は”いろいろ”、”さまざま”などの意味。

「物こそ悲しけれ」は<こそ~已然形>で係り結びになっています。
”物悲しい”という普通の形容詞に「こそ」を加えて強調しているというわけですね。

「わが身ひとつの」。ひとりの、ではなく「ひとつの」としたのは先に出ている「千々」と対比させるためです。
こういう表現は現代短歌からの目線で見てもとても勉強になります。

「秋にはあらねど」の末尾の「ど」は逆説の接続助詞。
なので「秋にはあらねど」は”秋ではないのだけど”とという感じで訳せるかと思います。

秋の夜の寂しさ、心身に冷たい風を感じますね。


もともとこの歌は中国の詩人、白楽天の詩集『白氏文集』から着想して詠まれたものとされています。
千里が漢学者だった父・音人の影響を受けていることが見て取れますね。

とは言え、なんというか、日本人特有の感性を歌全体から受け取れるような気がします。
これ二十一世紀の日本人が詠んでいても何の不思議もないと思いませんか?
日本の美しい風景を、千年後の人間にも共感され、愛されるように詠む。
これぞ名歌だなと思います。さすが在原兄弟の甥っ子…


美しい月も素晴らしい短歌も、私の文学的情緒のコアを刺激してきます。

たいへん恐れ多いですが、私が昔詠んだ月の歌を最後に置いておこうと思います。



眼差しに月の調べを宿す人のかけてしまった箇所が愛しい

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