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百人一首を散らかす 25.三条右大臣

久しぶりの散らかしになってしまいました。
今年の大河ドラマ、『光る君へ』を毎週楽しみにしているのですが、観ていると平安の文化に触れたくなってしまい、もう一度記事を書こうと筆を取った次第です。大河の最終回までにはせめて紫式部の歌を解説したい…!

さて百人一首第二十五首はこちらの歌。


名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな


初見では歌意が分かりづらいかもしれません。

「名にし負はば」は“名として持っているならば”。何が、名として持っている、のかと言えば、続く「逢坂山のさねかづら」。
「逢坂山」は京都府と滋賀県の県境にある山ですが、「逢う」つまり男女の逢瀬の意味が掛かっています。
「さねかづら」はつる性の植物。こちらには「さ寝」、男女が一緒に寝るという意味が掛けられています。
つまり、“逢坂山のさねかづらが、男女が逢って寝るという意味の名をもつならば”が上の句。

ここまででも掛詞がふんだんに使われていますが、技巧的かつ素敵だなと私が思うのはここから。

「人に知られで」は“人に知られずに”。末尾の「で」は打消の助詞です。【未然形+で】を見たら迷わず、〜ないで、と訳してしまいましょう。
「くるよしもがな」。「よし」は“手段”のことで、「もがな」は、“〜だったらいいのになあ”という願望の助詞となっています。
これを訳そうとすると、“人に知られずに来る方法があったらいいのになあ”となり、少々不自然な日本語になってしまいます。

というのも、『光る君へ』をご覧の方はお分かりかと思いますが、この時代は男性が女性の元へ通うというのが一般的な恋愛の形でした。作者の三条右大臣は男性ですので、当然女性の元へ‘行く’側の視点のはずなのに、‘来る’方法があったらいいのになあ、ではおかしいのではないかと、ここの解釈に関しては様々な議論があります。実は女性の立場の歌なのでは、など。

ところで先ほど、「さねかづら」はつる性植物だと紹介しました。
実はこの「くる」、これも「来る」と「繰る」のダブルミーニング、掛詞となっているのです。
さねかづらの蔓を手繰って、人知れずあなたの元へ通えたらいいのに……うーんロマンチック!
私としては、作者はこれがやりたくて、意味の上で逆になってしまっても「くる」を使いたかっただけなのではと思います。あくまで私の想像ですが。言葉扱うことを生業にしていると、そういうことってあるじゃないですか。(こんなノリで古典の解釈なんてしていいのか。)
なので上記のように“通う”くらいの訳で、お茶を濁すのがスマートかなと。

“逢坂山のさねかづらが、男女が逢ってともに眠るという意味の名を持つならば、その名のように蔓を手繰って人知れずあなたのもとへ通う方法があればいいのに”
掛詞が重なると訳が冗長になってしまいますが、まとめるとこんな感じでしょうか。

この歌には「女のもとにつかはしける」という詞書もあるそうで、女性に贈った歌のようです。平安の人たちは歌を贈る際に、草花を添えるという文化があったとのことなので、きっとこの歌はさねかづらとともに贈られたのではないかと推察できます。自分がこの歌とさねかづらを受け取ったらと思うと、それだけで恋に落ちてしまうのでは……なんだか本当にドキドキしてきました。


作者、三条右大臣は、藤原定方のことで、三条に屋敷があったことからそう呼ばれています。醍醐天皇に仕え、歌や管弦にも秀でており、また『土佐日記』で有名な紀貫之の後援者でもあり、和歌の普及に大きく貢献しました。

宮廷の人気者だったとも言われていますが、この歌を見ただけでも、出来る人だ……! と思わせる納得の歌いっぷり。私もたくさんいい歌を詠んで、短歌回の人気者の座を手繰り寄せたいです!

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