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百人一首を散らかす 20.元良親王


わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ



第二十首は元良親王のこちらの歌。

元良親王は第十三首の陽成院の第一皇子です。
しかし陽成院が譲位してから誕生した皇子であるため、即位はもとより立太子も叶いませんでした。

風流人として知られ、吉田兼好は『徒然草』に、元良親王の元日の奏賀の声が非常に素晴らしく遠くまで通っていた、と記しています。
和歌の才能を生まれ持ったタイプのプレイボーイで、多くの女性との贈答歌が現代にも残されています。
また弟の元平親王とかわりばんこで「陽成院親王二人歌合」なるものを開催していたという、なんだかちょっとかわいい一面もあります。


「わびぬれば」の「わび」は、思い悩むという意味。

「ぬれ」は完了の助動詞”ぬ”の已然形。
已然形+”ば(接続助詞)”は順接確定条件といって、<~なので>、<~すると>という風に訳せます。

「今はた」は”今はもはや”の意。

なので二句までで、”思い悩んでいるので、今はもはや同じこと。”となり、ここでいったん区切れます。
二句切れの歌ですね。

一体何と”今はもはや同じ”なのかというと、下句に出てくる「難波なるみをつくし」。

「なる」は<~にある>の意。

「みをつくし」は掛詞で、”身を尽くす(滅ぼす)”という意味と、航海の目印として水脈に立てていた”澪標(みおつくし)”がかかっています。

…どういう状況の歌かと申しますと、不倫の歌です。
元良親王は宇多天皇の寵姫であった京極御息所と恋に落ちてしまいます。
それが表沙汰になってしまい、”このように思い悩むのであれば難波の澪標のように身を滅ぼしたも同じこと、それならばこの身がどうなろうと貴女に逢いたい”、という苦しくも情熱的な胸の内を短歌にしたというわけです。

でも不倫ダメ絶対。


ちなみに何と”今はもはや同じ”なのかについては、今回の”身を滅ぼしたも同じ”とする説と、”今となってはどうなっても同じ”ということだとする説とがあるそうです。
前者が主流のようですが、後者の解釈の方がすっきりしていて分かりやすい気もします。


そう言えばひとつ前、第十九首・伊勢の歌にも「難波潟」が登場しますが偶然でしょうか…
伊勢も宇多天皇の御息所ですしね。
ここを連続させた意図が何か定家にあるのではと無駄に考えてしまいます。


しかし平安時代の高貴な方々はなかなかドロドロしていますね!
それを雅やかな和歌で後世の人間は知るという。
1000年後の世界にも、自分の歌を通して不倫が知れ渡っているなんて、元良親王も考えていなかっただろうなあ…ちょっと同情してしまいます。

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