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百人一首を散らかす 26.貞信公

百人一首は、「小倉百人一首」とも称されます。これは選者の藤原定家が、小倉山のふもとにある別荘で百首を選出したことに由来すると言われています。


小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ


作者の貞信公とは、藤原忠平のこと。決して歌人として有名ではありませんが、定家は縁ある小倉山の歌を、百人一首の中にも残しておきたくて選んだのかもしれません。

藤原忠平という名前は、日本史の授業で聞いたことのある人も多いと思います。関白藤原基経の子で、第二十四首作者の菅家こと菅原道真の追放に関わったあの藤原時平の弟です。しかし兄と違い穏やかな性格で、道真とも仲がよく太宰府に赴いたのちも交流を持っていたとのこと。時平が早逝した後に摂政、関白とのぼりつめ、藤原氏全盛の基礎を作っていきます。この子孫に、今大河ドラマでも話題の兼家、道長たちがいるわけです。


歌の中身を見ていきましょう。
「小倉山」は京都の嵐山のお隣の山で、紅葉の名所です。

二句の「峰のもみぢ葉」は、紅葉に対して呼びかけるような表現です。三句「心あらば」と合わせて、“峰の紅葉よ、お前に心があるならば”と紅葉を擬人化して語りかけています。

「今ひとたびの」は“この後もう一度あるはずの”というニュアンスです。
今一度、と漢字で書けば、現代でも「今一度(いまいちど)チャンスをください」のように、“もう一回”を表す言葉だと分かりやすいかなと思います。

「みゆき」は天皇お出かけのことです。漢字では【行幸】と書きます。行く先で幸を受けるという意味で、この字が当てられます。

「待たなむ」は“待ってほしいものだ”。
末尾の「なむ」は願望の終助詞です。なむ、と言えば古典を勉強していると真っ先に浮かぶのは、係り結びに使われる係助詞かなと思います。他にも、「死なむ」のように、ナ変の動詞に助動詞の「む」がついているパターンもあり、ぱっと見だけではけっこうややこしいですね……。「なむ」の前が未然形だったら願望の助詞です。願望はまだ起きてない(未然)ということなので。

まとめますと、
“小倉山の峰に生える紅葉よ、お前に心があるならば、この後もう一度あるはずの天皇の行幸まで散らずに待ってほしいものだ”

この歌は宇多上皇が御幸(上皇のお出かけのこと。こちらも、みゆき、と読みます)された際に、小倉山の紅葉がとても見事なので、子である醍醐天皇にもぜひ見せたいと思い、そのことを醍醐天皇にお伝えするよう仰せつかった作者が詠んだ歌、とされています。
宇多上皇いいパパ。
そして直接目で見た紅葉の美しさを言うのではなく、紅葉に「散らないでくれ」とお願いする歌を詠む、貞信公も噂通りの心の綺麗ないいやつなんだろうなあという気がしてきます。


季節は巡るから美しいのはもちろんなのですが、きれいな風景を見るといつまでもこのままであってほしい、そして大切な人にも見せたいと思うのは、いつの時代も変わらないのだなと、昔の人を身近に感じられる一首ですよね。
あと個人的に三句の字余りがとても好きです。未練や、必死さみたいなものが表れている気がするのと、何より音の感じが気持ちよくて。
日本のよさ、日本語のよさが溢れていて、声に出して読みたい歌だなと思います。

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