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百人一首を散らかす 24.菅家


このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに



百人一首第二十四首はかの有名な菅原道真のこちらの歌。
百人一首では尊称の「菅家」という表記で登場します。
有名すぎて説明するまでもないかもしれませんが、道真は若い頃から学問に優れ、故に現在に至るまで学問の神様として信仰されています。
今も太宰府天満宮、北野天満宮などは合格を祈願する学生たちで賑わっているのではないでしょうか。
まだコロナ禍のさなかですので、受験生の皆さんには気を付けてお参りしてきてほしいものです。

現代では親しまれている道真ですが、その人生は悲惨なものでした。
宇多天皇、醍醐天皇の元で出世し右大臣まで上り詰めましたが、謀反を疑われる事態となり太宰府へと左遷されてしまいます。
道真の子もことごとく左遷され、この一連の事件はそのときの年号から「昌泰の変」と呼ばれています。
太宰府へ流された道真は都へ戻ること二度と叶わず、左遷から2年で失意のうちにその生涯に幕を閉じます。
道真が亡くなって数年のうちに、当時の左大臣藤原時平をはじめ、道真の排斥に関与した者たちが次々に死去し、また宮中に雷が落ち死傷者が出るなど不吉なことが起こるようになって、これらは道真の祟りなのではないかと人々の間で噂されるようになりました。
祟りを恐れた人たちによって道真は神として祀られ、一条天皇の時代には太政大臣の地位も贈られています。


さて、こちらの歌には詞書がありまして、「朱雀院の奈良におはしましける時に手向山にてよめる」とのこと。

この朱雀院とは、宇多上皇のことです。
宇多上皇が奈良に出向かれる際に、その途中にある手向山で詠んだとされている歌、ということですね。
特に宇多天皇の信頼が厚かった道真は、その譲位後も側近として仕え、御幸に同行していました。


「このたびは」の「たび」には”度”と”旅”が掛けられています。”この度の旅は”。

「幣」というのは神様への捧げもの。布や紙を小さく切ったものを撒き散らして道中に祀られている道祖神に旅の安全を祈る際に用いたそうです。

「取りあへず」は「取りあふ」=”用意する”、”間に合わせる”と言う意味の動詞、「ず」=打消しの助動詞なので、”用意できなかった”、というニュアンスで考えると分かりやすいかと思います。

「手向山」は峠などに道祖神が祀られていて幣を手向ける山のことです。

「紅葉の錦神のまにまに」の「まにまに」は御心のままに、の意で、その下に「受け給へ」などの言葉が省略されているとみるのが自然です。

全体を訳してみると、”この度の旅は(急だったため)幣を用意できませんでした。手向山へ手向ける幣のかわりに、錦のようなこの美しい紅葉を捧げますので、神の御心のままにお受け取りください。”という感じになりますかね…

神様へ奉る歌となっています。

しかし急いでいたと言えど、上皇陛下の御幸に必要なものをを準備せず出立するというのは考えにくい気がしますので、実際幣を持ってはいるけれど、紅葉の美しさを称えて敢えてこう詠んだのではないかと推測できます。

機転の利いた、頭脳明晰な道真らしい歌ですね。


大江千里の月、道真の紅葉と、秋の歌が続きました。
百人一首は四季折々の景観が楽しめるところも魅力のひとつですが、秋が好きな私はこの並びが密かに好きだったりします。
皆さまにも良さが伝わっていれば幸いです。

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