[テート美術館展 光]@国立新美術館 01自然の中の光
たいへん遅ればせながら、「テート美術館展 光 -ターナー、印象派から現代へ」。この東京展は9月15日、来場者20万人を達成したという。
ターナーの絵に逢いに
本展は7月から開催されていた。いつ行こうかなと迷いつつ、同時に、ずいぶん昔のことを思い出していた。
その昔、ほんの少しだけロンドンに居たことがある。そもそもお金もなく、ポンドも円に対してとてつもなく高くて、安価なピザやチャイニーズ、巨大なジャケットポテトやテスコのお惣菜を食べていた。
そんななか、無料(任意で寄付……しなくてすみません)のナショナルギャラリー、大英博物館に入り浸った。テート・モダン、テート・ギャラリーにも足を運んだ。
ほかの旅行のシーンと混在して記憶はあいまいだ。でも、ターナーの絵だけは覚えている。
日本では印象派の人気が高いので、日本人として、「印象派っぽい」絵に既視感があった、というのはあると思う。でも、クロード・モネは1840年生まれ、『印象・日の出』は1872年の作品。
それに対してターナーは1775年生まれ、印象派のような(と、あえて書くが)タッチの『吹雪-港の沖合の蒸気船』は1842年の作。モネ生年の2年後だし、印象派誕生の30年前に、モヤモヤっとした(失礼!)絵に到達している。
ただ、このモヤモヤ、が曲者だった。写真にすると平坦に撮れてしまうことも多いので見飛ばしてしまいがちなのだけど、実際に作品を観ると、このモヤモヤはじつに深い。
膨大な量のターナーを、ロンドンで観た。そして数々の名作もあるはずなのに、わたしのなかでロンドンといえば、「ターナーの絵」なのだった。
(今思ったのだけど、もしかして、昨年、地中美術館にモネの『睡蓮』を観るために通い詰めたのは、この記憶の再現だったのか。。)
「光」を求めて 聖書と神の世界
光といえば、近代以前は聖書、神の世界。
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気になる「かつてジョン・マーティンに所属」というクレジットは、主題や作風が似ていたため、かつてはジョン・マーティン作だと思われていた(そうでなく、別の画家の作品だった)という意味、とのこと。
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ターナー作品
4作品が展示。ゲーテの色彩理論も興味深い。
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図録によると、ターナーは画業の後半で、絵の表面に透明の艶の出る塗料を施し、純粋な光を描写するために淡い光を使うなど、技法を磨いていったという。(以下、作品解説は、展覧会図録による)
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本作(大洪水の夕べ)と、次の(大洪水の翌朝)は対になっている作品。
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この作品は「自然界の大気の渦について描いた、最後にして最も閃きに満ちた作品」とある。
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自然の中の光 -ジョン・コンスタプル
このように本展は、自然の中の「光」を描いた作品から始まる。
ジョン・コンスタプルの作品は、絶対に観ていると思うのだけど、作家名を意識して鑑賞したのは初めてだ。
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ジョン・コンスタプル(原画)、デイヴィッド・ルーカス(彫版)の版画作品も多数展示されていた。どの作品も、美しくて雄大な英国の自然の風景。繊細な表現が版画で再現されている。
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「コンスタプルの卓越したライバル」と解説にあった、リネルの作品も展示。
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光、風景、印象派
ところで、本展のイメージを広く伝えるために1作品選ぶとしたら、やはりこの作品になるかもしれないな、と思う。
雲の合間からの強い光が、スポットライトのように海面を照らす。
ジョン・ブレット『ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡』は、展覧会チケットに使われ、
図録の表紙にもなっていた。
(ちなみに、上の写真の図録となりは、ピーター・セッジリー『カラーサークル』からインスパイアされた、本展のオリジナルバッグ)
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ふしぎな光に魅せられたのが本作だ。夕景?と思いきや、タイトルから朝の風景だということが読み取れる。
タイトルにある、パーナムヒル近くの森林の開拓地で、ミレイは秋の早朝の霧が立ち込める様子を描いた。息子の証言として、作家は、この作品のインスピレーションを「木霊の力強い声」から得たと主張していたという。
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モネは2作品。既述のように、印象画、的な絵のよさは写真には写らない(を基本として、もちろん撮影者の腕もある。)それをふまえ、じっくりと鑑賞した。
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展示は次に「屋内の光」へ。そして時代は近現代に。
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