再開館の国立西洋美術館へ。松方コレクションに、改めて感謝を
上野・国立西洋美術館のリニューアルオープン記念展「自然と人のダイアローグ」(9月11日まで)を鑑賞してきた。ドイツのフォルクヴァング美術館の協力を得て、印象派、ポスト印象派、ドイツロマン主義~現代までの100点超が展示されている。常設展で観られる作品も多いため迷っていたのだけれど、行ってよかったというのが感想だ。
■画家が捉えた自然の美しさに浸る
はじまりは、ブーダンから。「モネの先生・・・」というささやきがあちこちから漏れ聞こえてきて(ブーダンは、若き日のモネに屋外制作をアドバイスしたとされる)、雨の日の朝一番にやってくるのは美術ファンが多いのかも、と感じた。これより少しだけ寄ったアングルの、「トルーヴィル近郊の浜」(1867年、アーティゾン美術館蔵)も、とても好きだ。
海、つながりで言えば、クールベの海の絵は並んで2作品。Wavesのほうが松方コレクションで、The Waveのほうはフォルクヴァング美術館から来日したもの。特に説明なく、こうやって仲良く並べるところは粋だ。
クールベの海の絵に関しては、汐留のパナソニック美術館での企画展がコロナ禍のため画面越しにしか鑑賞することができなかったのが、今も心残りだ。こうして複数枚を鑑賞できたのは嬉しい。
■ゴッホ「刈り入れ」の静寂
フォルクヴァング美術館からの来日作品の「目玉」としてパンフレット等にも大きく掲載されているのが、ゴッホの「刈り入れ」だ。
ゴッホは、意図的にデフォルメを加えたのでなく、(かの「糸杉」にしても)本当に「見たまま」を描いたのだと言われてもいる。その理由が心身の状態だとしても、画家が切り取った風景は(鑑賞者である自分にとっては)本当に美しく、キャンバスの中に引きこまれていくか、逆に風景が拡張してくるようにも感じられる。
じりじりと照り付ける日差し、たまに聞こえる、農夫が作業する音。時折ざーっと風が吹いたりするのだろうか。静寂に満ちた作品を愉しんだ。
■やはり引きこまれる、モネ「睡蓮」
松方コレクションの「睡蓮」。直島の地中美術館の「睡蓮」と同じように晩年の作だが、自分のなかでは「はっきりとした」睡蓮と分類していて、睡蓮の花々のはっとするような自己主張が好きだ。
上の写真のように、低めの位置に展示されていて、目の前に池が迫っているような錯覚を愉しむことができる。
睡蓮といえば、松方コレクションからもう一点。
モネが晩年、オランジェリー美術館の睡蓮の「大装飾画」のために試行錯誤しながら試作した数多の「睡蓮」のなかで、著しく破損した「睡蓮 柳の反映」がある(上の写真)。まるで日本画のようにも見える(もともと印象派は浮世絵の影響もあるわけだけど)下地が新たに加えられ、新たな生命を吹き込まれている。
■時間を忘れる、名画たちとの対話
会場には、通り過ぎてしまうのが惜しくなる名画が贅沢に並んでいた。ランダムに紹介していく。
■コレクションに感謝
国立西洋美術館の所蔵作品は、川崎造船所(現・川崎重工業)の社長を務めた実業家の松方幸次郎氏の「松方コレクション」が元になっている。
国立西洋美術館「松方コレクション」によると、松方氏が美術品の収集を始めたのは、第一次大戦中のロンドン滞在時から。事業で成功を収め、「自分の手で日本に美術館をつくり、若い画家たちに本物の西洋美術を見せてやろうという明治人らしい気概をもって、作品の収集にあたっていた」。
しかし収集した美術品の多くがヨーロッパに残されていたため、ロンドンにあったものは火災で焼失、パリにあったものは第二次大戦後に「敵国人財産」としてフランスの国有財産となってしまう。その後、フランス政府はその大部分を「松方コレクション」として日本に寄贈返還することを決定し、展示するための美術館として、1959年、ル・コルビジェの設計による国立西洋美術館が誕生する。
返還「されなかった」作品もあるところが、「敗戦国あるある」ということだろう。しかし、こうした(ほかにも大原、アーティゾンなど)美術コレクションがあったことが欧州・米国との共通言語となり、日本の戦後復興に役立ったという記述はいくつか読んだ。
アニメなどで、「その他大勢」のキャラクターを「モブキャラ」というけれど、人生と世の中において間違いなく「モブ」だと日々実感している自分にとっては、美術品を収集し、美術館を構想するという気概はなかなか想像できない。
受け継がれたその気持ちに思いを馳せ、プロの手によるキュレーションを毎回楽しみにし、ささやかな入館料を払ってアートでその日を少し幸福にする、そんなふうに自分なりの感謝を示していきたい。
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