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父の小父さん

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#東京大空襲

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 31

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 31

一九八三年(昭和五十八年)、三月三十一日。その日の尾崎さんは、同じ月の一日に逝去したばかりの小林秀雄を特集した『新潮』を隅から隅まで読んでいたそうです。小林秀雄も、尾崎さん同様に、志賀直哉の門下であり、志賀直哉を敬愛してやまなかった人でした。それゆえ、尾崎さんの失意はひとかたならぬものでした

夜になり、尾崎さんは体調の異変を感じて、習慣になっていた晩酌(一週間でオールドの瓶を一本空けるペース)を

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 30

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと 30

二〇二〇年、令和二年という年は、全世界が不安に包まれる一年でした。文明が高度に進んだかに見えた私たち人類の非力を見せつけられ、身を護り、心折れず、生き抜く術を試され続けています。この期間、尾崎一雄さんの作品をいくつか読み直したのですが、もし今の世に尾崎一雄という文学者が生きていたら、どんな言葉でこの状況を表しただろうかと思ったものでした。

戦後の尾崎さんは、作品を通して、行き過ぎた科学万能主義に

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと20

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと20

父にとって姉のような存在だった従姉の世都子さん。彼女のことは何度か書きましたが、世都子さんは、父が宇久須村から修善寺に移ってからも、ちょくちょく様子を見にきてくれたそうです。父を引き取った家での待遇が目にあまり、「まアちゃん、あんたは近くにできた戦争孤児の施設に入ったほうがいいんじゃないか」と心配されたこともありました。

戦争孤児の施設。当時、どんな様子だったのでしょうか。二年前、終戦記念日前後

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと14

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと14

父が家族の骨を持ち続けた話は、ずいぶん昔に聞いた記憶があります。でも、その骨、最終的にはどうしたのでしょうか。「しばらくは、いつもポケットの中に入れていて、手のひらに乗せて転がしたりしてたよ。辛い時は、しゃぶったこともあったなあ」。父母、兄、妹、その誰の骨かわからぬものではありましたが、父にとって一片の骨は、家族の象徴だったのでしょう。「心の支えだったんだ。でも長く持っているうちに、骨を持っている

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと13

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと13

父は、辛いことがあると、頭がぼーっとして、頭痛が続くといいます。尾崎さんが亡くなった時、母が亡くなった時、同じ症状が出ました。発端は、東京大空襲で家族を亡くしたことにあり、そんな父の深い深い心の傷を、娘である私は、あまり感じることもなく、のんきに育ちましたが、それでも、それなりに生きてきて、ようやく最近、父の悲しみの片鱗を感じられるようになり、こんなふうに文章に残す作業を続けています。

東京大空

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと12

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと12

人の運命というものは、あみだくじみたいなものでしょうか。この世に生まれるところから始まり、折々の岐路で選択しているような気でいますが、あらかじめ決まった道を我知らず進んでいるのかもしれません。東京大空襲の日、学童疎開していた父一人が生き延びたことを思う時、そんな思いにとらわれます。父が生き延びなかったら、母との結婚はもちろんなく、私も存在していませんでした。家族皆が助かったとしても、やはり、同じこ

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと11

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと11

父の一家が深川に引越しした頃から戦局が悪化、様々な統制とともに、学童疎開も始まり、慌ただしかった時期、尾崎さんの身辺では、尾崎さんの作家人生における一大事が起きていました。尾崎さんは、そのあたりのことについて、様々な作品で触れているのですが、ここでは『末っ子物語』から引用してみます。

昭和十九年、夏から秋に移ろうとするころ、大きな不幸が多木一家を襲った。ここ一、二年来、とかく不健康がちだった多木

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと10

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと10

父の子ども時代の話には、しばしば書生さんが登場します。伊豆の親類縁者から、大学に通う子供を託されることが多かったようですが、近くの美大生を預かることもあって、さてどんなツテだったのか、もう少し詳しく知りたいところです。美大生らは、父の母や兄をモデルに、油絵や彫刻を制作しています。

それにしても、父の家は家族五人と女中さん、それに加えて常に書生さんがいる環境で、しかも結構頻繁に親類が上京しては宿泊

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと7

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと7

尾崎一雄さんの夫人、松枝さんと姉妹のように仲良しだった祖母の久子さんについて、今回はファミリーヒストリー的に探ってみようと思います。

父が小学生の時、「両親の家系を調べる」という課題があったそうです。個人情報保護が厳しい今だったら炎上必至ですが、戦前とはそういう時代だったのでしょう。それで、父は久子さんと林平さんに色々質問します。久子さんは自分の家系のことはあれこれ話すけれど、父親の林平さんにつ

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと6

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと6

日常のふとした出来事が記憶を呼び覚まします。少し気取っていうならば、プルーストの『失われた時を求めて』の紅茶に浸したマドレーヌ、のようなものでしょうか(文庫本の第一巻で挫折しましたが)。父の昔話も、ちょっとしたきっかけから始まります。おなじみの話もありますし、えっ、そんなの初めて聞く、という内容もあります。

何年か前、テレビで〝欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞〟を父と一緒に観ていたときのこと。

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと5

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと5

二〇一六年三月に母が亡くなってからしばらく、父の精神も体も、目を覆いたくなるほどの衰弱を見せ、このまま母を追いかけるようにして逝ったらどうしようかと途方に暮れました。

何か元気づけることはできないか、と思案し、私にできそうなことといえば、こうした物語を書くことくらいでした。でも、すぐには手をつけることができなくて、そんな時にふと思い浮かんだのが、写真家である田沼武能さんの『時代を刻んだ貌』という

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父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと4

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと4

少しだけ私の話を。平成十八年(二〇〇六年)に『きものの花咲くころ』という本を上梓しました(一昨年に『きもの宝典』として再版)。十年在籍した主婦の友社の、看板雑誌『主婦の友』から、きもの関連の記事を選り抜いて再編集し、解説をつけたもので、大正六年(一九一六年)に創刊された『主婦の友』九十年分に目を通してみると、表紙や口絵、テーマ、執筆陣、記者の語り口などから、リアルに時代の匂いを感じることができ、濃

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父の小父さん  作家・尾崎一雄と父のこと3

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと3

父は、尾崎さんが亡くなったのちも、未亡人となった松枝さんと晩年までお付き合いがありました。老いた松枝さんは、生まれ故郷の金沢に「まアちゃん、一緒に行こうね」と誘ってくれたこともあったそうです。きっと、子どもの頃からの親しみゆえ、気安く誘うことができたのでしょう。

松枝さんは気さくで開けっぴろげな人柄で、私も大好きでした。尾崎さんは痩せぎすの体に着流し姿、子どもにとっては近寄りがたさがありました。

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父の小父さん

作家・尾崎一雄と父のこと2

父の小父さん 作家・尾崎一雄と父のこと2

上野の山は、今も昔も大好きな場所です。家族でよく出かけました。子どもにとっては動物園が何より楽しみだし、世の中の不思議が詰まった国立科学博物館も大好きでした。リズミカルに曲線を描く噴水、トンネルのような桜並木、三色団子の新鶯亭。最近では、上野といえば東京国立博物館が主な訪問先なのですが、いつも直帰しがたくて、ぶらぶら散歩してしまいます。今はなき、京成線の博物館動物園駅、あの薄暗い地下から地上に上が

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