ジャーナリングの大切さ

私のジャーナリングのきっかけは小学生の時に友達に誕生日プレゼントをされた日記帳でした。
小学生の頃の日記帳を見返すと、その日見たドラマ(絵つき)の感想や、その日あったうれしかったこと、悲しかったこと。
色々なことが書いてあります。
思春期のイライラなどもすべて書いてあって、自分が何に対してイライラしているのか、自分はどうしたいのか。
今読み返すと、へ~って思う内容もたくさん書かれていて、すごく楽しいです♡私はいつも母とぶつかってばかりいたのですが、決して母が嫌いだったわけじゃない。自分のイライラをぶつける対象でした。ただ、申し訳ないという気持ちもあって✉をよく書いてました。うまく言葉に出来ない自分の心の内を書いていたから、母も私の日記は見なかったのかもしれません。

でも、人の日記を見たくても絶対に見たらダメなのがルール。これを破られると安心して日記が書けなくなります。

我が家には100冊は超える日記帳があります。100-200ページぐらいの📔にぎっしり書いていたり、子供たちが落書きしていたり。
それもすべて思い出。たまに読み返したりして、同じことで悩んでるんだなと思ったり、好きなものは変わらないんだなと思ったり。
多分私が年老いて身辺整理しだす頃には捨てると思うけど、私にとっては大事な大事な宝物。
コロナの自粛期間中はいろいろな不安があって、普段は書き終えるのに、早くて数か月かかったりする日記帳を1週間で書き終わらせてました。多い日は一日に30ページも書いてた。とにかく書き続けた。不安で仕方なかったんだと思います。妊娠していて、主人は日本に一時帰国中。3人の子供と家に残って、買い物も行けない状態。VISA発行停止などいろいろなことが日によって変わっていた時期。でも、ある意味日記があったから冷静でいられたんだと思います。

子供たちにも日記帳として何冊かノートをあげています。ほしいと言った時はほかの日記帳書けてないやん?とは言わず、とにかくあげる。私もそうですが、書きたいと思った時に手元にノートとペンがあってほしい。書きかけて何年も忘れていて、また書き出してなんてことはざらにあります。1冊ずつ終わらせる必要はないと思っているからです。その時の書きたい気持ちを大事にしてほしい。

今日は次女が絵つきのお話を書いてました。書いていると言っても、まだまだですが、本人なりに色々と気に入っているみたいです。長男は、私があげた日記帳はすべて、お話を書いていました。
何でもいい。書きたいと思ったもの、絵でも文字でも、何でも。自由に書いてほしい。今度長男はお話を書く大会の州大会に出場します。2回大会を勝ち抜いてきた長男。絵も学校で1029人のうちの3人に選ばれたようで、長男が書いた絵がしおりになって全校生徒に配られました。私が日記を書くような感覚で長男はお話を書く。

私もなんとなく書いていた日記ですが、調べてみるとやっぱりストレス軽減させたり、自己肯定感を上げたり、冷静に色々なことを見れるようになると書いてありました。
本当にその通りだと思う。
長男も思春期で少しイラっとすることはありますが、自由な時間に絵を描いたりお話を書いたりしているとイライラしないと言います。
私も今は小さなノートを常に持ち歩いて、暇さえあれば書くようにしています。私にとってはとても大事なこと。
子供たちのお迎えに行っている少しの時間5-10分、📱を見るのではなくジャーナリングをする私。


主婦がじっくり座ってジャーナリングをするとなると、朝か子供たちが寝た後かになるけど、出来れば朝は寝ていたい。夜ジャーナリングすることはあります。だから、隙間時間を使って日記を書くということは私にとってはなくてはならない時間です。

手元に書くものがないと買いたい衝動を抑えきれなくなるほど。
これは、パソコンに向かってブログなどを書いたりするのとは違う意味を持ちます。人に見られるわけじゃないから。
自分の感情を素直に書きだす。人に迷惑をかけるわけじゃない。黒い感情がもしあったとしても、書けばいい。

一日一回、一行でもいい。自分の感情を記録してみるのもいいかもしれません。


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