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ふとしくん(仮名)家が火事になった話 上

どうも、ひかりちゃんです

2008年
当時、中学1年生の頃。

2学期が始まるタイミングで
同学年の皆より中学校を自主的に
卒業していた私は

朝からスカパーでアニマックスを
観続ける毎日を過ごしていた

ようするに思春期の真っ只中。

家の玄関を開けると、目の前に
中学校があったので給食を食べて
お昼休みに軽く食後の運動を行い

お友達が下校する時間帯まで寝て

下校時間になると、お友達一同が
私の家に遊びに来る。

そんな順風満帆な学生生活を送っていた。

その日も、お友達一同

ふしたにくん(仮名)
ひろきくん(仮名)
そして、ふとしくん(仮名)

の3人が学校帰りに我が家に遊びに来た。

プレイステーション3で
パワフルプロ野球、通称パワプロで
対戦しながら遊んでいたと思う。

18時頃に、パートから帰宅した母が
満面の笑みで私の部屋にやってきて

火事ばい!
火事ばい!!
でっかい火事ばい!!!

と、お祭り騒ぎのように叫んできた。

私が産まれ育った町は長崎の最端も最端

都会の方々が想像するド田舎の
遥か斜め上をいくド田舎なので

町内で火事でも起こるものなら
地元総出のお祭りのような状態である。

当然、私やお友達一同も
火事だと聞けば、目の色を変えて
狂ったように踊り狂い、母も交えて
5人で雄叫びをあげて騒いでいた。

耳を澄ませると、確かに
遠くの方でサイレンの音が聞こえる。

恐らく、消防車1台だけではない。

少しずつ音が近くなる度に
私達の心は弾みを増していくばかり。

各々が、各々の方法で絶頂を迎えた時

母は、キーホルダーの付いた車の鍵を
自身の人差し指でクルクルと回していた。

言葉を交わさずとも、息子である私は当然

お友達一同も、母の行動の意図を
瞬時に読み取っていた。

言うまでもない。

行くのだ、火事の現場に。

我が家の愛車であるミニクーパーに乗る

私は助手席だった為、窮屈さを感じないが
後部座席は悲惨だった。

成長期の中学生男子3人が密接して
ミニクーパーの狭い車内に乗っている。

サイレンの音を頼りに母が車を走らせる。

道中、下校中の生徒達を横目に通り過ぎ
下々の民を見下す貴族のような気持ちになった

着実にサイレンの音へと近付いており

歩道を歩く通行人は皆、同じ方向を
目指して一心不乱に歩いている。

当然、目的地は火事現場だろう。

ひろみ屋(駄菓子屋)のお爺さんも
喧嘩がめっぽう強い、じゅきやくんも
フィリピンと日本のハーフ、セリカちゃんも

心なしか足早に歩いていたと思う。

小学校の脇道を通り
ふれあいセンターを曲がり、POKKAの
自動販売機が見える、この道を

母も、我々一同も、全員が知っている。

ふとしくん(仮名)家への道だからだ。

それまで阿呆のように騒いでいた車内は
次第に口数が減っていき、角を曲がる頃には
誰一人、言葉を発することはなかった。

どうか、ふとしくん(仮名)家が
燃えてないことを心の中で願うばかり。

私だけじゃなく
全員が同じことを思ってただろう。

できれば、このまま引き返したかったが

Uターン出来るほど、道路に幅はなく

ふとしくん(仮名)家を横切るのは
もはや必須な状況だった。

角を曲がった先には3〜4台の消防車と

見紛うことなき

ふとしくん(仮名)の家が燃えていた。

既に、ふとしくん(仮名)家周辺の
路肩には先に到着したギャラリーの車が
停車してあり、ある程度通り過ぎなければ
車を停車できるスペースがなかった。

ほんの数十メートル、車が進むだけの
数分、もしかしたら数十秒程度の時間が
憎たらしいほど長く、そして切なかった。

このまま、何も見なかったことにして
何食わぬ顔で帰ってしまいたいと願うが

母はヒトだった。

大人として行うべき行為
かけてあげるべき言葉を選び

ふとしくん(仮名)に話しかけていた。

無論、我々は一切の言葉すら出ない。

少し離れた場所で車を停車させて
一旦、全員で車から降りることにした。

後方を振り向くと、やはり燃えていた

赤く燃え盛る炎と
モクモクと立ち上がる黒煙のデュエットが

音と視覚のハーモニーを創り出していた。

ふとしくん(仮名)も、内心
穏やかではなかっただろうが

精一杯、平常を装っているのが
目に見えて分かり、余計に切なかった。

現場に到着すると、錚々たる顔ぶれ

地区運動会でリーダーをやるほど
ビッグな地元住民が揃っており

野次馬連中に紛れて、私の父もいた。

長くなりそうなので、また次回。

※フィクションです。

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