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Answer~枯れない愛を探して~ 第三話【全九話】

【第三話】

 八代さんが目をまん丸とさせて、春香を見る。勢いで告白してしまった。何をやっているのだろうと慌てて春香は言う。

「すいません! 今のは、その、忘れて下さい!」

「いや、忘れられない」

 八代さんはそう言うと、ビールを一気に飲み干した。自分の心臓がバクバクと音を立てているのが分かる。

「木崎さん、きっと俺、本当は……」

「それ以上言わないでください」

 八代さんの言いたいことは痛いほど分かった。でも、その言葉を聞いてしまったら、なんとなくダメなような気がした。結局、その日はそれで解散となった。帰り道一人、夜風に当たりながら本当にこれでよかったのかと自問自答を繰り返す。でも、どれだけ考えても答えは出てこなかった。

 次の日、会社で八代さんに出会っても何食わぬ顔で過ごした。でも、今までとは明らかに違った。八代さんが春香の気持ちを分かってくれたことが大きかった。昨日までモノクロだった世界が一気にカラフルに変わっていくのが目に見えて分かった。

「木崎さん。今日、暇?」

 会議室で二人でプレゼンの準備をしていると小さい声で八代さんが言う。

「暇って言い方やめてください」

 そう言うと八代さんは、ごめんと言って手を合わせた後、腕を組んで考えるポーズを取る。春香は八代さんの言葉を待つ。

「えっと……じゃあ、時間ある?」

「まぁ、いいでしょう」

 仕事終わり、いつもの居酒屋へと向かう。昨日までとは比べ物にならないくらい足取りが軽い。今日もカウンターではなく、個室を選んだ。

「八代さん。昨日はすいませんでした」

「なんで謝るの?」

「いや、だって、いきなりあんなこと言ってしまったんで」

「謝ることないから。大丈夫。俺の方こそ色々ごめん」

 優しく微笑む八代さんを見て、ホッとした。今まで通り、自分は八代さんの隣にいることが出来る。純粋に嬉しかった。だから、八代さんの気持ちを確認しないままでも十分だった。個室でゆっくりビールを飲んで、色々な話をする。ただ、それだけでよかった。幸せだった。


***


「えっ、八代さん風邪ですか?」

 森本さんから八代さんが風邪だと聞かされたのはそれから三日後のことだった。

「そうなんだよ~! だから俺が代わりに今日のプレゼンしなきゃいけなくて! 木崎さん手伝ってくれる?」

「はい! 分かりました」

 森本さんの手伝いをしながら、春香はすぐに何かいるものありますか? と八代さんにメッセージをした。すると、木崎さんが来てくれれば嬉しいなんて返信が返ってきた。少し顔を緩むのを慌てて直す。

「何かいいことでもあった?」

 いつも通り、お昼を食べていると綾子にそう言われた。

「いや、別に何も。今日金曜日だから明日何しようかなーって考えてただけ」

 そう言うと綾子は、少し不思議そうな顔をして春香を見ていた。“このこと”は誰にも知られちゃいけない。だから、綾子にだって隠さなければならない。

 春香は仕事帰り、スーパーに寄って八代さんの家まで行くことにした。八代さんは結婚してから引っ越しをした。最近引っ越したので、春香は初めて新居へと行く。少し緊張しながらインターホンを鳴らす。すると少しだるそうにしながら、八代さんが出てきた。どうぞと通されて中へと入る。まだ引っ越しの荷解きが出来ていないのか、段ボールが点々と置いてあった。

「汚いけどごめん。適当に座って」

「大丈夫ですか? って大丈夫じゃないですよね」

「いや、薬飲んだからだいぶましになったよ」

「なんか食べましたか?」

 八代さんは何も食べてないと答えたので、春香は八代さんの家のキッチンを借りて、おかゆを作り始める。すると、後ろから八代さんが覗き込むようにしてその様子を見る。

「ちょっと、八代さんは寝てて下さい」

「だって、見たいし」

「熱あるんですよね? いいから寝て下さい!」

 そう言って無理やり寝室へと押し込んだ。おかゆを作りながら、春香はぼんやり部屋の中を見ていた。これからここで八代さんと天野さんは幸せな家庭を築いていく。その中に自分がいていいのだろうか。カウンターに置かれた結婚式の時の写真立てを見て、胸が苦しくなる。そんなことをしていると、八代さんが寝室から出てきた。

「もうすぐで出来るので、座って待ってて下さい」

 出来たおかゆを机の上に置くと、八代さんは早速一口食べる。

「うまい。めちゃくちゃうまいよ」

「本当ですか、嬉しい」

 人に料理を作って食べてもらうことがあまりないので、美味しいと言われて素直に嬉しかった。それから八代さんは春香が作ったおかゆを綺麗に完食した。

「わざわざ来てくれてありがとう。助かった」

「いえいえ。じゃそろそろ帰りますね」

 玄関先へと向かうと八代さんは春香の腕を引き寄せ、そのままふんわりと抱きしめられた。びっくりして、慌てて体を引き離す。

「あの、風邪! 移っちゃいますから……」

「もしも木崎さんが風邪ひいたときは、今度は俺が看病に行くから」

「おかゆ作れますか?」

「おかゆくらい……作れるよ!」

 そう言って少し怒っている八代さんが可愛く見えた。

「分かりました。約束ですよ?」

 そう言うと、もう一度抱きしめられた。耳元で、分かったと少し低い声が響く。そのまま春香は、足早に家を出た。ダメだ。体中に熱を帯びてとても熱い。熱いというより火照っているという方が近い。でも、きっと自分はこれが欲しかったのだ。八代さんのぬくもりを感じながら、家路についた。

 それから、三日後。八代さんの風邪をもらったのか、見事に春香は風邪を引いた。家で寝ていると八代さんから電話がかかってきた。

「風邪ひいたんだって? 俺が移しちゃったんだよね、ごめん!」

 会社の誰かから聞いたのだろう。第一声でそう言った。八代さんの声を聞いて、春香は少し安心した。

「大丈夫です。薬も飲んでちゃんと寝たんで、楽になりました」

「そっち行きたいんだけど……真希の体調がよくないみたいで」

 行けなくてごめんねと八代さんが小さく呟く。

「私は大丈夫なんで、天野さんのところに行ってあげて下さい。それじゃ」

 そう言って、電話を切った。それが精一杯だった。八代さんにとって、やっぱり妻である天野さんが一番だという現実を突きつけられた。そんな気分だった。分かっていたはずなのに、苦しい。分かっていたはずなのに、ちゃんとショックを受けている。そんな自分も嫌で、何だか悔しい。泣きたい気持ちをぐっと堪える。すると、インターホンが鳴った。のぞき窓を確認すると、そこには綾子が立っていた。慌てて玄関の扉を開ける。

「綾子……」 

「何、その残念そうな顔は」

「いや……来てくれたんだ……」

「せっかく来てあげたのにそんな顔しないでよ」

 そう言って何故か少し機嫌の悪そうな綾子を部屋へとあげる。それから綾子はおかゆを作ってくれた。綾子が作ってくれたおかゆを食べながら、少し落ち着きを取り戻した。結婚しているのに不倫相手の看病に来る人間なんていない。自分は、八代さんの隣にいられるだけでいいのだ。それだけでいいと思っていたのに、今の春香は、八代さんを求めている。でも、どうすることも出来ない。

「最近どうしたの? 落ち込んでると思ったら妙に浮かれてる時もあるし」

「別にそんなことないよ」

「誤魔化そうとしたって無駄だよ。私が分からないとでも思う?」

 そう言う綾子の視線が痛い。自分が分かりやすい性格だから気を遣っていたつもりだった。でも、綾子には通用しなかったらしい。

「八代さんと付き合ってるの?」

 何も言わない春香に対して綾子は、深いため息をついた。

「さすがに私は応援出来ないよ。だって、不倫だし」

「でも、特別なこと何もしてないし……二人で会ったりとかしてるだけ」

「それが不倫だってこと」

「違う。そんなんじゃない」

 ただ、二人で飲んだり、家に看病しにいったり、今の二人の関係は不倫じゃない。そんな汚い関係じゃない。そう思いたかった。

「もしも会社とか天野さんにバレたらどうなるか、分かってるの?」

「でも、私は真剣に八代さんのことが好きなの」

「どれだけ二人が好き同士であっても、所詮浮気は浮気なんだから」

 綾子の言葉は全て理解出来た。頭で理解出来ても体が拒否している。

「綾子、体調悪いからもう今日は帰ってもらえるかな?」

「春香……」

「もういいから帰って!」

 そう言って春香は綾子のことを追い返した。自分はとてつもなく嫌な人間。せっかく来てくれた同僚にこんなことをしてしまった。この時の春香はもう自分が自分じゃないような、不思議な感覚だった。


 春香の風邪が治ってからも八代さんの出張が続き、会えない日が続いた。綾子とも微妙な距離感をとっていた。なんとなくやるせない気分が続いていた。

 そんなある日、春香は繁華街を歩いていると一軒のバーが目についた。店先の看板には『サボテン』と書かれていた。春香は吸い込まれるように、そのバーへと入った。

「いらっしゃいませー」

 カウンターの席の奥に一人、無精ひげを生やした男性が立っていた。客は誰一人おらず、春香は案内されたカウンターの席へと座る。すると、目の前にいる男性は、春香の顔を見るなりこう言った。

「今、いけない恋してるでしょ?」

 春香の顔を見て、当たった? と言っていたずらっ子のような顔で笑う。その反応に少しむっとした春香を見て、クスクスと笑い出す。なんだか馬鹿にされているような気がして、感じが悪かった。

「応援は出来ないけど、話は聞いてあげるよ」

 言い当てられた春香は、八代さんとのことを話せざるを得なくなった。目の前にいる無精ひげを生やした男性は、この店のマスターだった。年の頃は三十代後半くらいだろうか。ワイルドな見た目と反して、話しやすい印象を受けた。全て春香が話し終わった後、マスターは真顔で言った。

「今、君が思ってること、言ってあげようか」

 そう言うとマスターは、カウンターに手を置いて春香の方に顔を少し近づける。

「自分があれほど欲しかったものが手に入ったはずなのに、何故こんなに苦しいのだろう」

 確信をつくその言葉に春香は動けなかった。

≪続く≫


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