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Answer~枯れない愛を探して~ 第四話【全九話】

【第四話】

 それから春香は、飲めないお酒を浴びるように飲んだ。他にお客さんがいなくてよかった。おかげでこのベロベロに酔っ払った姿を誰にも晒さずに済んだ。

「お前、飲みすぎだって」

「だって、マスターがあんなこと言うからですよー」

「俺はお前に忠告してるんだよ」

「分かりましたよー! それはー! 何回も聞きましたー!」

 酔っ払っている状態の春香を見て、マスターはふっと鼻で笑った。

「もう店閉めるから。ちょっとそこで待っとけ」

 店の閉店準備をして、マスターはまっすぐ歩けない春香に肩を貸してくれた。

「初対面なのにお前凄いな」

「私だって初めてですよ……こんなに飲んだのー!」

「お前、全然会話になってねぇぞ」

「もうなんとでも言ってくださーい!」

 マスターは少し苦笑いを見せてから、春香の隣で言う。

「こんなに飲ませた俺にも責任がある。だから家まで送っていく」

「え、うそー! ありがとうございまーす!」

 マスターの車の助手席に座り、道案内をしながら家へと向かう。結局、マスターが家の前まで送り届けてくれた。

「あ、そうだ。まだ名前言ってなかったですね」

「今のタイミングかよ」

「また会うかもしれないんで。私、木崎春香って言います。覚えてて下さいね」

「あぁ、俺は落合俊介おちあいしゅんすけ。あとまた会うかもとかじゃなくて、今日飲んだ分ツケにしてるから絶対払いに来いよ」

「分かりましたー。今日はどうもありがとうございましたー」

「ちゃんと鍵閉めて早く寝ろよ。じゃあな」

 マスターはそう言うと、春香はマスターの肩から離れて、部屋へと入った。ガチャンと扉の閉まる音がして、少ししてからマスターの足音が聞こえた。その足音は次第に小さくなっていくのをそのまま聞いていた。春香は靴が脱げなくて、結局そのまま玄関で崩れ落ちた。なんだか分からないけど笑いが止まらない。気が付けばフハハッと声を出して笑っていた。何も面白くないのにただ笑っていた。

「何やってんだ……」

 こんなに酔っ払って、マスターに家まで送ってもらって、自分は何をやっているのだろう。急に正気に戻って怖くなった。

「言われなくても分かってるよ……でも好きなんだからしょうがないじゃん」

 涙が止まらない。玄関から立ち上がろうとしても体が言うことを聞かない。まるで、鉛のように重い体。自分が悲しいのか、苦しいのか、悔しいのかよく分からない感情の波に飲まれていく。今の感情はきっとその全部だろう。ただ、玄関で一人動けなかった。

 何が正解か分からないまま、ただ春香は八代さんとの関係を続けることにした。自分の気持ちには嘘がつけなかった。誰に何を言われようともう進むしかなかった。綾子とはあれからも一緒に昼ご飯は食べるが、前みたいに積極的に話をすることはなくなった。少し悪いとは思いつつも、綾子には自分の気持ちは分からないだろうと思っていた。

 八代さんとは時間が合えばご飯に行ったり、八代さんの家に行って手料理を作ったり、普通のカップルのようだった。一つだけ違うのは、八代さんは既婚者だということ。それだけなのに、それが一番の問題だ。天野さんは、実家にいてほとんど家には帰ってこないようだった。

 ある日、いつものように八代さんの家でご飯を食べて、ソファで一緒にテレビを見ていた。春香はそれだけで十分幸せだった。でも、段々と欲が出てくる。それだけじゃ、物足りなくなってくる。

 抱きしめてほしい。キスしてほしい。そんなこと求めちゃいけないと頭では考えていても、求めてしまう。必死に抑えようとしても、体は言うことを聞かない。そっと八代さんの手に触れると、大きな手が春香の手を優しく包み込む。暖かくて優しい手。八代さんの方をゆっくり見ると、目が合った。八代さんも同じ気持ちだったのか、お互いためらいがちに触れ合う。

「キスしていい?」

「はい……」

 そのまま、優しくキスをする。八代さんを見ると、バチっと目が合って、慌てて目を逸らす。すると八代さんの手は、するすると春香の服の中へと入っていく。どんどんと深くなるキスに溺れそうになりながら、必死に八代さんについていく。

「好きです、八代さん……」

「俺も好きだよ」

 初めて聞いたその言葉に全身が、喜びに満ち溢れる。何とも言えない感覚。その時の幸福感は計り知れないものだった。

「シャワー借りますね……」

「うん……」

 でも、その後押し寄せてくるのは罪悪感だった。シャワーを浴びながら、とうとうここまで来てしまったと思う。シャワーを浴びて、部屋へと戻ると八代さんはそのまま眠りについていた。年齢にしては幼く見える顔が寝顔だとより一層際立っている。触れたい気持ちを我慢してそのまま服を着て、八代さんの家を後にした。

 気が付けば一か月ほどそんな生活が続いていた。関係を続ければ続けるほど、幸福感よりも罪悪感が多くなっていくように感じた。それを埋めるように、八代さんと会えない日はバーに行き、マスターと話すことで気を紛らわせていた。今日も八代さんが出張だと言うので、春香は家へと帰らず、バーへと向かった。

「相手にされないからってここに来るなよ」

「ばれてたんですか」

「ここに来たら、あー寂しいなー会いたいなーって顔してるからすぐ分かる」

「え、そんな顔してました?」

 バレバレだよとマスターはキュッキュッと音を立てながらグラスを拭いている。その仕草は綺麗で見ていて飽きない。

「俺もお前の話聞くほど暇じゃないんだよ」

「でも、いつ来てもお客さんいないですよね」

「馬鹿、ちゃんとお客さん入ってるし、一人で大変なんだよ」

「じゃあ、私が働きましょうか?」

「馬鹿なこと言ってないでお前は早くツケを払え」

 すいませんなんて言いながらマスターに謝ると、はぁとため息をつかれた。ここにいるのが居心地がよくて、結局用が無くても来てしまう。

「で、どこまで行ったの? やったの?」

「どこまで? 何の話ですか」

「とぼけんな」

「あぁ、まぁ、はい。それなりにしてますよ」

 急にそんな話恥ずかしいからやめて下さいよなんて言うと、より一層マスターのため息が増す。

「なんでマスターがそんなため息つくんですか」

「どんどん抜けられなくなるぞ」

「お母さんみたいですね、マスター」

「俺はお前のこと思って言ってるんだよ」

「はいはい、分かりました」

 もう春香は、どうにでもなれと開き直っていた。実際どうなるかなんて誰にも分からない。だったら自分が思う正しい道を進むしかない。それが例え間違っていたとしても、もうその道を進むしかないのだ。もう後戻りは出来ない。

 このままここにいてもマスターに小言を言われるだけだと思い、春香は早めに切り上げてバーを出た。外は生暖かい空気がして、何だか少し気分が悪かった。

 それから数日後、綾子が週末にランチに行かないかと誘ってきた。特に予定もなかったので、その誘いを受けることにした。二人でよくランチに行っていたカフェへと向かった。カフェに着くともう綾子は店の前で待っていた。そのまま中に入ると、テラス席に案内され、店員さんが注文を聞きに来る。いつも頼むランチAセットのパスタを頼んだ。綾子も同じものを頼んでいた。

「どうしたの? 急にランチ行こうって」

「久しぶりにどうかなと思って」

「そっか……」

 春香の家に看病に来てくれて以来、ちゃんと話すことがなかったので何を話せばいいか分からない。とにかく今日は天気がよかったので、天気いいね、暑くなってきたねなんてどうでもいいことを言う。綾子がそうだねとだけ言うと、注文したランチAセットがやってくる。

 呼ばれた理由なんて聞かなくても分かっていた。きっと八代さんとのことに決まっている。でも、そのことを話したくなかった。だから春香は、ひたすらどうでもいいことを話し続けた。綾子が話に入られないくらいべらべらと意味もないことを喋って一人で笑っていた。しかし、ランチAセットを食べ終わる頃にはさすがに話すことがなくなってしまった。嫌な沈黙が続く。

「八代さんとはどうなの?」

「どうって……」

「まだ続いてるんだ……」

 そうだろうねとセットについてくるカフェラテを飲みながら綾子が言う。春香もカフェラテを飲み、出来るだけ気持ちを落ち着かせようとした。

「もう天野さんも出産近いんじゃない?」

「そうなんじゃない?」

 八代さんから具体的には聞いていないので分からない。でも、産休に入った頃を考えるともうすぐだろう。

「もう一度言うね。私、春香には八代さんとの関係、やめてほしい」

「私が嫌だって言ったら?」

「子供じゃないんだから、ちゃんと聞いて」

「聞いてるよ、ちゃんと」

 段々自分でも苛立っているのが分かる。もう一度カフェラテを飲み、一息つく。

「私だって好きでこんなことしてるわけじゃない」

「でも、今、春香のしてることって不倫だから。一般的に考えて間違ってる」

 綾子の言っていることは、全くもって正しいことだ。でも、自分にとっては違う。これは春香が選んだ正しい道なのだ。

「綾子に私の気持ちが分かるわけないよ!」

「私だって分からないよ。不倫するような人間の気持ちなんて、分かりたくもない!」

 綾子がそう言って、少し目尻に涙を滲ませているのが分かった。

「もういい、帰る!」

 そう言って春香はお財布から千円札を取り出して、机の上に叩きつけた。そして、そのままカフェを後にした。綾子が後ろから春香と呼んでいるのが聞こえたが、振り返らなかった。

 もう自分は、戻れないところまで来てしまった。自分は進むしかない。正しいとか間違ってるなんてこの時には、もう自分自身でもよく分からなくなっていた

≪続く≫


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