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Answer~枯れない愛を探して~ 第九話【全九話】
【第九話】
それから春香は、今後のことについて考えた。そしてその三日後、春香は八代さんをこの前、距離を置こうと言われた公園に呼び出した。出張帰りの八代さんは、不思議そうに春香を見つめている。
「天野さんと別れて、私と結婚してください」
春香がそう言うと、八代さんは明らかに困った顔をする。八代さんは本当に分かりやすい。まぁ分かりやすいのはお互い様かと、冷静に春香は八代さんのことを見ていた。八代さんは何か言おうとしていたが、言葉が出てこないようだった。
「……冗談ですよ、冗談」
そう言って笑いながら、春香は八代さんの目を見る。きっとこれが最後だと思ったから。八代さんも春香の目をまっすぐと見つめていた。
「私と別れてください」
八代さんは、春香の言葉に俯いた。
「……なんで?」
何とか絞り出して出したようなかすれた声だった。
「八代さんは天野さんとこれから生まれる赤ちゃんを幸せにしてあげてください。私は邪魔者ですから」
八代さんは、ぎゅっと春香の腕を掴んだ。何か言いたげにしていたが、構わず春香は続けた。
「八代さんの人生に私はいちゃいけない。私の人生にも八代さんはいちゃいけないんです。このままじゃ誰も幸せになれない」
だんだんと春香の腕を掴んだ八代さんの力が弱くなる。
「木崎さん……」
「私は八代さんと付き合えてよかったと思っています。後悔はしてないです。幸せだと思った瞬間もあったし、でもやっぱりつらいと思ったことの方が多かったかな」
そう言うと、八代さんの手が春香の腕からスッと離れていく。
「それが答えです」
春香が八代さんに笑顔でそう言うと、春香を引き留めることを諦めたのだろう。八代さんは春香に向かって言う。
「分かった……今までありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「……大好きだった」
大好きだった。その言葉に、少し心がざわついた。でも、もう決めたことだ。
「私も大好きでした。お幸せに」
「木崎さん……」
「さよなら。八代さん」
そう言うと、春香は足早にその場を後にした。振り返らずに、ただ前を向いて歩き続けた。八代さんが見えなくなるところまできて、立ち止まる。涙が溢れそうで思わず、空を見上げる。とても綺麗な青空に飛行機雲が一本通っていた。春香の心はその青空に浄化されていくような感覚がした。
「……まだ私にはやることがある」
それから春香は、話があると言って天野さんを呼び出し、この前のカフェへと行った。
「時間もないので、手短にお願いします」
そう言ってまたソイラテを注文した天野さんを見ながら、春香は出来るだけ冷静に考えてきたことを話す。
「謝っても許されることじゃないって分かってる。でも、本当にごめんなさい」
まずはそう言って、春香は天野さんに頭を下げた。少しして、顔をあげると天野さんは気まずそうな顔をしていた。
「八代さんとは別れました。だからもう会うことはないです」
そう言うと少し驚いたような顔をして、天野さんはこちらを見る。
「木崎さん、もう本当のこと拓也に言ってるのかと思ってました」
「だってそんなこと言っても誰も幸せにならないでしょ」
「……本当、そういうところ、木崎さんって感じですね」
思いっきり嫌味を言われているのは分かっている。でも、ここでそんなことを気にしている場合ではなかった。
「私がお願いできる立場じゃないのは重々承知の上なんだけど、お願いだから絶対に本当のことは八代さんには言わないで欲しい。それだけは絶対守って欲しい」
八代さんには、天野さんが当てつけのように結婚したことを知らないでほしかった。それが春香の望みだった。天野さんは何も言わずに、ソイラテを飲み続ける。
「天野さんだって八代さんのこと好きだから結婚したんでしょ? 本当は元々好きだったんでしょ? 八代さんのこと」
春香は何故ここまで、天野さんが春香のことを嫌いだったのだろうと考えてみた。単純に春香のことが嫌いなら、嫌がらせの方法はいくらでもあるはずだ。なぜ天野さんが八代さんとの結婚にこだわったのか。それは天野さんが八代さんが好きだったからだと思った。
「全く気持ちがないのにここまでしないでしょ? 私はあの結婚式を見て嘘だとは感じなかった」
「だから……そういうところが嫌いなんですよ! 何でも分かってるみたいな言い方して、ほんとに……」
天野さんは悔しそうな顔をしながら、春香の方を見る。
「八代さんも、本当に何も思っていなかったら、貴方と結婚はしてないんじゃない? 天野さんとだったら大丈夫って思ったんだと思うよ」
その言葉を聞いて、天野さんは黙り込んだ。
「浮気しておいて、こんなこと言えたもんじゃないのは分かってる。でも八代さんには幸せになってもらいたいし、もちろんあなたにも幸せになってもらいたい。そして、これから生まれてくる赤ちゃんと、幸せな家庭を築いていってほしいの」
自分が言える立場ではないのは分かっている。でも、最大限自分の出来ることはしたかった。
「私が望むのはそれだけ」
「……何とでも言っておけばいいです」
「言いたいことはそれだけだから。それじゃ、さよなら」
春香はそう告げて、その場を後にした。もう一生会うことはないだろう。カフェの外から天野さんの様子を見てみると、その場で俯いたまま微動だにしていなかった。きっと彼女なら分かってくれると信じて、春香は歩き出した。
それから春香はバーへと向かった。バーの扉を開くとマスターが待っていたのか、扉の近くに立っていた。
「ちゃんと全部終わったか?」
「うん」
そうかと言うとマスターは何も言わずに、コーヒーを出してくれた。
「うちは喫茶店じゃないんだけどな」
「……ありがとう」
マスターは優しくしてくれて、涙が止まらなかった。
「何で今泣くんだよ」
「だって、こんなダメな私なのにマスターはいつも優しい」
「お前は本当に馬鹿だな」
「なんで今そんなこと言うの」
そう言うとマスターは、春香の頭に手を乗せる。
「……俺はそんなお前が大好きだからだよ」
マスターの顔を見ると、顔を真っ赤にしている。
「馬鹿、なんで今そんなこと言うの、ほんと馬鹿……」
春香は照れ隠しでマスターの淹れてくれたコーヒーを飲む。
「美味しい。マスターってコーヒーも淹れられるんだね。本当何でもできるね」
「だから器用貧乏だって言ってるだろ」
「そんなこと、ないですよ」
「その棒読み辞めろよ」
だってこの前こう言えって言われたからなんて笑っていると、春香の気持ちはすっかり晴れていた。
***
あれから一か月が経とうとしていた。そのまま会社にいるとどうしても八代さんのことが気になるということもあり、春香は仕事を辞めることに決めた。少しの間、生活するには困らない程度の貯金があったので、思い切って違う土地での生活を始めようと思った。その話をすると、マスターも今のバーをやめてどこかでまた店を開くと言った。結局、春香はそんなマスターについていくことにした。
「綾子、手伝ってくれてありがとうね」
「いえいえ。私が出来るのはこれくらいだからね」
引っ越しの手伝いは綾子がしてくれた。マスターの車に二人で一緒に荷物を詰める。
「綾子、本当にありがとう」
「春香がいなくなると寂しくなるよ」
「大丈夫、一生会えないわけじゃないんだから」
「元気でね、春香」
「うん。綾子も」
綾子にお別れの挨拶をして、マスターの車へと乗り込んだ。綾子の姿が見えなくなるまで、綾子は手を振り続けていた。本当に綾子は大切な親友だ。
そして、それからマスターと共にバーへと向かった。バーへ行くと、ほとんどすっからかんになっており、少し寂しかった。ここでの思い出がぶわっと溢れてくる。
「本当にこの店、続けなくてもよかったんですか?」
「どうせあんまり客が来ないし、お前のツケのせいで赤字だったしいいよ」
「ツケはちゃんと全部払いましたよ」
「……そうだったっけ?」
そんな冗談を言いつつ、二人で荷物を片付ける。きっと春香のことを心配して自分もこの店を辞めると決めたのだろう。
その優しさがきっと愛っていうことなのだろう。まだはっきりとは分からないけれど、おぼろげに愛というものが最近少しだけ分かってきたような気が春香はしていた。
「まぁ、確かにあまりお客さんの入りはよくなかったですね」
そう言うとお前が言うなと怒られた。
「まず、ここの立地が良くないですよね。こんな狭い路地じゃ誰も来ませんよ。今度お店する時は考えましょうね」
「ここは家賃が安くて元々バーだったから都合がよかったんだよ!」
その前はバーテンダーとして働いていたので、バーがちょうどいいと居抜きで入ったそうだ。一体マスターにはどれほどの経歴があるのか、まだ春香にも分からない。それはこれからゆっくり聞こうと思いながら、片付けているとマスターが春香の顔を見ていた
「なんですか?」
「店開くつもりなのか?」
「マスターが言ったんでしょ、どっかでお店開くって。マスターのその器用貧乏なところ使えばなんだって出来るでしょ。私がウエイターでもなんでも頑張りますから」
そう言うと、口元を隠す。きっと照れ隠しだろう。マスターとだったらなんだって出来るような気がするのが不思議だ。
「お前こそ、よかったのか?」
「何がですか?」
「……俺に着いてきてよかったのか?」
「今更、何言ってるんですか?」
「いや、だって……お前はまだ若いし、他に何だって出来るし」
そう言って口ごもるマスターに春香は言う。
「これが私の人生の正解だと思ったからいいんです」
そう言うとマスターはにこやかに微笑む。荷物を片付け終えて、いよいよ出発の時が来た。サボテンの看板を取り外し、思い出のバーにお別れをする。そして、二人で車へと乗り込んだ。
「行き先はどこがいい?」
そう言うマスターに、春香は少し考えてから答える。
「ここからなるべく遠いところがいい」
「了解」
そう言うとマスターは車を発進させる。今の自分はきっと間違っていないと思う。これでよかったのだ。
「ていうか俺もうマスターじゃないんだけど」
「そういやマスターってなんて名前出したっけ?」
「えっ? 酷くない?」
「だってずっとマスターって呼んでたし」
そう言うと、マスターは分かりやすくしょぼりとしている。
「嘘ですよ、落合さん」
「なんかそれ、距離あって嫌だな」
「いいじゃないですか、別に!」
隣を見ると明らかに納得していないような顔をして、ハンドルを握っている。
「分かりましたよ、俊介さん」
そう言うと、マスターは明らかに照れて、耳を赤く染めている。それが可愛らしくて思わず笑ってしまう。
「お前……いくらなんでも急すぎるだろ!」
「何ですか? 呼んで欲しかったんでしょ?」
「いや! 呼んで欲しかったけど……」
そういえば、春香もマスターから名前で呼ばれたことがなかったことに気づく。
「じゃ、私のこともお前じゃなくて名前で呼んで貰えます?」
すると、さっきまで威勢の良かったマスターが口を閉ざす。
「私の名前、さすがに覚えてますよね?」
「……春香」
「それ、急に距離近すぎません?」
「いいだろ別に! 俺、歳上なんだから呼び捨てでも!」
「はいはい、危ないから前見て運転してくださいよ!」
これからどうなるかなんて分からない。幸せになるかなんて誰にも分からない。でも、きっとこの選択が正しいと思えるような人生に自分の力でしていくしかないのだ。それが人生なのだと自分なりに出した答えだった。助手席の車窓から流れる景色を眺める。春香はこれからのことを思い浮かべて、期待に胸を躍らせた。
≪完≫
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