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Answer~枯れない愛を探して~ 第七話【全九話】

【第七話】

「すいません。体調が悪いんで、休ませてください」

 そう言って、春香は会社に電話をかけた。八代さんから距離を置こうと言われてから三日が経っていた。一向に仕事に行く気になれず、会社に電話をかけて、そのまま朝からビールを飲み始めた。

 元はと言えばマスターからキスをされて、バーに行きづらくなった。だからといって八代さんを誘ったのがいけなかった。何故八代さんとマスターを会わせてしまったのだろう。今更後悔したってもう遅い。じんわりと涙が出てくる。まるで八代さんの結婚式の後に戻ったようだ。でもあの時、あんなに苦いと思っていたビールの苦みにももう慣れてしまった。いいのか悪いのかこの何か月かで春香は、変わってしまった。二日酔いの頭では、何も考えることが出来ない。重い体はベッドに深く沈んでいく。

 昼を過ぎた頃、いきなりインターホンが鳴った。重たい体を引きずりながら、玄関へと行く。覗き穴を確認すると、そこには綾子が立っていた。慌てて扉を開ける。

「綾子……」

「いつまで会社に来ないつもりなの?」

 綾子とはあのカフェから冷戦状態だった。それなのにわざわざ家まで来てくれた。でも、そんな同期にも今、かける言葉が見つからない。気の利いたことも何一つ言えない自分が嫌になる。せっかく来てくれた綾子を家の中に招き入れようとしたが、お昼に抜けてきただけだからいいと言われた。

「あとはマスターにお願いするから」

綾子はそう言うと、何故か後ろからマスターが出てきた。びっくりして、思わず後ずさりした。

「マスター……」

「俺が行ってもきっと開けてくれないと思って綾子ちゃんに頼んだんだよ」

「ていうかなんで二人が知り合いなんですか?」

 そう言うとマスターは嬉しそうに笑って言う。

「実は綾子ちゃん、ちょっと前からうちに来てたんだよ。お前のことが心配で後付けてたら、うちのバーにたどり着いたって」

「ちょっとマスター! それは言わない約束!」

 綾子はそう言うと、マスターの肩をバシッと叩く。痛そうにマスターが肩をさすっている。綾子が、そんなに自分のことを心配してくれていたなんて知らなかった。こんな自分の為を思って、行動してくれている同期を見ていると春香はとても今の自分が惨めになった。

「ごめんね、綾子。ありがとう」

 絞り出した言葉に綾子は、首を振った。

「ううん。私も一方的に自分の意見だけ押し付けて、春香の話を一切聞こうとしなかったから。マスターはきっと全部春香の話を聞いてくれたんだよね。そんな人が春香の近くにいてくれてよかった」

 そういえばマスターは最初から春香の話を全部聞いてくれた。そして、頭ごなしにだめだと否定することもなかった。マスターの顔を見ると、まんざらでもない顔をしている。

「じゃ、私仕事戻るから」

 そう言うと綾子は足早に帰っていった。

「綾子ちゃん、本当にいい子だよね。ちょっとツンデレだけど」

 綾子の後ろ姿を見ながら、マスターが呟く。

「それで、マスターはうちに何しに来たんですか?」

「どうせろくなもの食ってないだろうから、飯つくりに来た」

「大丈夫です。間に合ってます」

「いいだろ、せっかく家入らせろよ」

 そう言って半ば強引にマスターは家に入ってきた。

「うわ、酒くさ。しかもきたねぇな」

「そりゃ、朝から飲んでますからね? きたねぇって酷すぎません?」

「お前、大丈夫か」

「誰のせいでこうなってるか分かってますか?」

 マスターは、春香の言葉は完璧にスルーした。そして本当に何か作ろうと食材を買ってきたのか、スーパーの袋をテーブルに置く。

「どうせこの前、マスターが八代さんに何か言ったんでしょ、だから八代さんは……」

「あぁ、言った。お前がトイレに行った時に、本当にお前のことを思うんだったら会うのをやめてくれって言ったよ」

「なんで……」

「俺はお前のことを思って……」

「お前の為って何? マスターは私の何なんですか?」

 マスターに当たったって何も変わらないのに、なんでこんな言葉しか出てこないのだろう。自分が自分で嫌になる。

「俺はお前に……俺みたいになってほしくないから」

 急にマスターは弱弱しくそう言うと、キッチン借りるぞと何やら用意し始めた。

「俺みたいにって何?」

 マスターの後ろ姿に問いかける。その背中はやけにしおれて見えて、言い過ぎたかなと思った。それからマスターが口を開くことはなかった。ただキッチンからトントンと規則正しい包丁の音が響いていた。やがて、春香の前に出てきたのはチャーハンだった。

「ほら、食え」

 昔、中華料理店でバイトしてたからそれなりに自信があると言って胸を張っている。思えば、春香はこの人の経歴を全く知らない。マスターのことを何も知らなかったことに今更気が付いた。こんなに会っているのに、年齢も住所も出身地も何も知らなかった。自分のことに必死で人のことなんて、目に入っていなかった。

「いただきます」

 手を合わせて、マスターが作ってくれたチャーハンをスプーンですくう。そして、口へと運んだ。

「美味しい……」

 何日ぶりか分からないくらいちゃんとした食事を食べた。マスターが作ってくれたチャーハンはとても美味しかった。

「マスターってなんでも出来るんですね」

「まぁな、結局全部中途半端で器用貧乏って感じだけど」

「あー、なんとなく分かります」

「分かりますってなんだよ、こういう時はそうでもないですよっていうところだぞ」

 マスターとそんな話をしつつ、春香はチャーハンを食べ終えた。

「ごちそうさまでした。ありがとうございました」

 手を合わせ、丁寧にお辞儀すると向かいに座っているマスターは、春香を見つめる。

「ちょっと、そんな見つめられると恥ずかしいんですけど」

 そう言って、少しふざけてみたが、そんな雰囲気ではないのを肌で感じてやめた。春香がマスターの方を見ると、おもむろにマスターは喋り出す。

「俺は十年前、親友の結婚相手と関係を持った。そして、全て失った」

 いきなりの告白に春香はどうしたらいいか分からなかった。でも、こんなに真剣に話すマスターを出会って一度も見たことがなかった。

「友達も、会社も、一度で全部失ったよ。それからは地獄だった」

「……知らなかった」

「そりゃ言ってなかったからな」

 そう言って少し天井を見上げた後、春香を見る。

「だからお前がこの先どうなるか、俺には分かる」

 言いたいことはよくわかった。でも、うまく言葉が出てこなかった。何も言わない春香にマスターは続ける。

「前にバーの名前の話、してただろ?」

「サボテンの花言葉でしたよね? 確か……枯れない愛?」

「その花言葉、親友が教えてくれたんだよ」

 まぁ、もう疎遠になって連絡も取っていないけどとマスターは言う。

「一度過ちを犯した俺だけど、次もしも愛する人が現れたとしたら、もう枯れさせないような愛にするんだって。あとは自分の戒めの為にも、嫌でもあの時のこと思い出すし」

 そんな思いがバーの名前にあったなんて全く分からなかった。春香は全くマスターのことを分かっていなかったことが今日でよく分かった。

「愛を枯らしたくない……」

 でも、春香には愛も恋も好きも正直どういう違いか全く分からなかった。

「最初はどうせ客とマスターの関係だし、俺の話なんてしてもどうせ聞くわけないと思ってた。でも、気が付けばお前は俺にとって、大切な存在になってた」

「マスター……」

 胸がぎゅっと押しつぶされるような感覚。すごく苦しくて、息がしづらい。まるで水の中にいるような、そんな感じがした。

「俺はお前に幸せになってほしい。だから言う」

 そう言うとマスターは、春香に向き直る。

「こんなこと続けても、この先には明るい未来なんて待っていない」

「私は…八代さんのことが好きなの。だからこのままずっと一緒にいたい……」

「本当に好きなのか?」

 マスターからのその問いに、春香は何故か答えることが出来なかった。あんなに好きだった八代さんのことを今、本当に好きかと聞かれると分からなかった。きっと好きなはずだ。でも、好きだと言えなかった。

 俯いた春香に、マスターが声をかける。

「じゃ、俺は店の準備あるから。ちゃんと会社行けよ、さぼり魔」

 じゃあなと言ってマスターは、部屋を出ていく。ガチャンと扉が閉まる音が響く。マスターの靴音が小さくなっていくのを聞きながら、春香はベッドへと寝転がる。

「もうどうすればいいの……」

 誰だって自分の幸せを思って、人生の選択をするはずだ。それなのに、今の自分は自分を苦しめているのではないかと思い始めていた。この選択は本当に合っているのか。もっと自分が幸せになる人生の正解があるのではないか。でも、その選択をすることは春香には出来なかった。

≪続く≫


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