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自己紹介をしよう4🦋無意識の夢のような奥深いビジョンの世界にいざなわれる

こちらの投稿のつづきです🌿

当時わたしの実家は兵庫県にあったのですが、カウンセリングを受けに京都・神宮丸太町にある「みわカウンセリング」まで赴きました。

PTSDになってからと言うものの、さまざまな治療法・カウンセリングを受けてきました。

でもトラウマを癒すためにそこへ触れようとショック体験を語るものの、どうも触れられている感触がなく

思い出して辛くなり解離する(感覚が遠のき、鈍くなる)だけだったりして、言葉にして話すことそれ自体に、癒しの効力がないことを感じていました。

そうしたことを調べながら行き着いた先に、言葉にするだけじゃトラウマは癒されない。なぜならば、PTSD患者のトラウマは身体(神経)に刻まれたものだから

語るだけでなく、身体的・神経的なアプローチが必要なのだという文献を発見しました。

『身体はトラウマを記録する: 脳・心・体のつながりと回復のための手法』

(この本は情報として良いのですが、専門書のような分厚い本で、導入にはおすすめできないかも…)

そしてPTSDの人には、その体験が当人にとってあまりに過酷で、思い出し口に出せない人も多く存在するのだと

共感することがたくさん書かれていて、やっぱり日本でPTSD患者が保険適応で受けられる治療が

ショック体験を思い出し語り、その刺激に慣れさせていくという暴露療法しかないことは、国の医療としてとても貧しく未発達で、そして間違った認識であるのだと、知りました。

当時の日本では(今もまだそうかもしれませんが)そのような認識が遅れていて、わたしが読んだ本も海外のセラピストさんが書いたものでした。

しかし日本人にも、海外で学べる知恵を渡航して学び、日本で実践している人たちがいることを知りました。

そのなかに、身体の感覚を感じながら神経の滞りであるトラウマを解放する瞑想的なワーク(ソマティック・エクスペリエンスなど)があることを知り、受けたりもしました。

1回50分で、1万7千円するものでした。当時のわたしの月収入が7〜8万ほど。痛いなあと思いながらも、セラピストさんのブログを読んでこの人なら…!と思う部分があり、受けに行ったのでした。

しかし、値段が自分に見合ったものであるということのたいせつさをわたしは知りました。

値段が高く時間も限られたカウンセリングというのはわたしのなかで、限られた大きなチャンスでした。

受けられる機会も限られている… と、ただでさえ余裕のない心身をもっていたわたしは息を飲み、その時間を緊張感と焦りとともに過ごすこととなりました。

1度目のカウンセリング(ソマティック・エクスペリエンスのワーク)ではなにかが変わった実感がありましたが、焦っただけでなにも深まらずに終了…という回が2度目にあって

そこでのカウンセリングは、う〜ん…とやめてしまいました。

またセラピストさんとの相性、というのもあるなあと感じました。そのセラピストさんは語り口が速く、ゆっくりマイペースなわたしはその誘導に焦ってしまうのでした。

そんな経験あっての「みわカウンセリング」さんは、わたしのなかで4つ目の癒しのスペースでした。PTSDになってからは、2年ほどが経っていました。

そこで初めてしたワークに、わたしはとてつもなくいい意味で衝撃を受けました。

そしてカウンセリングが終わってからも、ボロボロと古くなった壁面が崩れおちて、なめらかな肌をもった新しいわたしが現れ始めたのです。

自分のほんとうの気持ちについての深いところからの気づき・発見が起こりつづけました。

そこでわたしがこちらで書いた

なぜひとつのことが続かないのか、じぶんの好きなことを仕事にしようと動いたけれど、そこに幸せな感覚が出てこなかったのか、わかったのです。

それは、わたしにはそもそもじぶんに対する無価値感があった。自分は目立とうとしなければ誰にも振り向いてもらえない存在だ。そして誰かに見てもらえないと孤立してしまい、自分は生きていけない

という深いところにある死に結びついた恐怖感が、わたしを芸術分野で活躍することに駆り立てていたのだとわかりました。

そして、トラウマから苦しみを解消したいがためにショック体験について表現をして、誰かに見て聴いてもらおうとしてきましたが

ほんとうの癒しが起きるのは、誰かに聴いてもらったり見てもらったときじゃなくって、自分自身にゆったりとした落ち着いた状態で、丁寧に感じてまなざしてもらった時だと

心身の奥深くから知ったのです。

そこでわたしは、どこかで確信したのです。もうわたしは、誰かにみてもらうために頑張らなくてもいい。

ここでのカウンセリングで、自分の内側に存在するあらゆるものを丁寧に見て感じて掴み、そのかたちを確かめ、心身を癒していくことを続ければ、大丈夫なのだと。

切羽詰まっていたわたしに、初めて安心感と、それにともなう未来への希望と余裕が、生まれ始めました。

そして3度目のカウンセリングで、カウンセラーさんからある提案を受けます。

「CRM(総括的リソースモデル)というセラピーの手法があるんだけど、やってみますか?」

わたしはその療法についてよく知らなかったけれど、カウンセラーさんには安心を感じていたので、興味から「はい」と返しました。

そこで体験したことや感想が、こちらの記事に書いたものになります。

とても健やかで、涼しく(身体の癒しが起きると、わたしは涼しく感じるのです)微細でやさしい感覚がありました。

本当はもっとたくさん感じたことがありました。でも、言葉にできることは本当に一部なのです。

CRMでのセラピーは、トラウマ治療とは一見なんの関係もないことをしているかのように、理屈で考えると捉えられるのですが

辛かった体験に直接触れることなく、トラウマ・痛んだ神経を癒すということが、このセラピーを通してわたしはできました。

しかもそれは思ったよりも早く実感として起こり、2021年の5月からカウンセリングに通い始め、その年の12月には、一通りの癒しが完了したことを身体の静穏さから実感したのです。

この期間、カウンセリングには3週間に一度のペースで通っていました。

そしてこの無意識のせかいを旅する、じぶんの内側に存在するさまざまな微細な感覚を掴むことが、わたしが今リーディングをする感性として活きているのです。

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