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マノミコト

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こころのおくのほう。毎日更新。     マルハダカ。
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#言葉の力

2021/8/13 「探しているもの」

ずっと何かを探している。まだ見たことのない何かを求めて、歩き続けてきた。何が見たいのか。何がこの目に映れば、私は満足するのだろう。 それは多分「あい」だと思う。多分ではない。必ず、そうなのだ。まだ見たことのない「あい」。私は「あい」が見てみたい。見たことのない。これも嘘だ。見たことは、ある。一度だけ。それももう、5、6年前のこと。それでもまだ、鮮明に思い出されるあの景色。あれだけは、忘れたくない。お年を召したとして、孫ができたとして。その景色だけは語り継ごうと決めている。ど

2021/8/3 「私は」

私は、私が書く文章で、人の心を動かすことができるだろうか。救えなくてもいい、というか、そんなエネルギーを持てるはずがない。でも、心をちょっとだけ動かすくらいなら、と期待をしている。自分のいのちを書き、滲ませることができた時限定だ。 幾度か幾人か、優しい人が言ってくれたことがある。嬉しかった。その時その時で、毎回最初と同じ嬉しさを感じた。だから、浮足立っていると思う。でも、正直、確信がない。自信のなさが原因かもしれない。でも、それだけじゃない。言ってくれた人達のことを信じてい

2021/7/31「蝶」

誠に生きられたことがない。当然と言えば、当然か。誠かどうかなんて結局最後の最後にしかわからないのだから。 「恋に誠も、偽りもない。」と言われていたが、なにも、恋に限ったことではない。現に私がそうなのだ。 どんなに思い焦がれていても、涙ながらに言葉を発したとしても、何かに揺さぶられてしまえば、それは偽りとなる。いっときも誠から離れず生きることなんて可能なのだろうか。 それよりも、私の生はもっとひどいものだ。誠にできたことが一度もなく、生きてきた。誠に生き続けて来られなかっ

2021/7/30 「思うこと」

伝えたいことがある。「思うこと」がこんなにも私の近くに居座るのは、決して私の意志ではなかったということだ。 「思うこと」が私の両肩を抱いて少し後ろに立っている。私の外側にいて、その手を放そうとしてくれない。がっしりとこの身を捕らえ掴んでいる。 けれど嫌な感じはしない。二人で一つ、たまたま目に映る存在が私であっただけ。生きることというか、何かを成し遂げようとすることに熱があるのはむしろ彼の方で。私はただその力に押されているだけ、という感覚だ。 なぜ、この世界の地に足を着け

2021/7/26 「月見る夜」

実はあの前日の晩、私は月を見ていた。いつもは見ない場所に光が真っすぐ差し込んでいて、不思議に思い、月を見たのだ。まん丸で大きくて、月の光にはめずらしく強さを感じた。 満月か、と思っていたのだ。カーテンの隙間から窓を覗いて上を見て。前日の晩は一人だった。 深夜の。自分が放つ音しか聞こえないこの時間に、普段は見られない光を見つけ、興奮していた。薄青い光が白壁に沿うようして屈折し現れるあの空間。身近なところに存在した神秘さの味わいは舌に残ってしまう。 だから、今日が満月だと聞

2021/7/21 「フラット」

この雑誌はカタカナがよく出てくるなと毎回思う。暗闇に光を落とせばすぐ消えて。また落としたと思ったら、またすぐ、暗闇に戻っていく。そう、いうなればホタル。カタカナがホタルのように一つ一つの文章の中に潜んでいて、私は毎回、アッ!アッ!と光の誘いにまんまと乗っかってしまうのだ。 わざとだと思う。多分、距離をとるために。文字が文字としてそこにある。 文章を書いていると、ここぞ!という時に妙な力が入る。伝えたい私からのメッセージに、良い言葉とか美しい言葉を多めに、そして大胆に。「見

2021/6/23 「運命」

この頃、自分の人生、つまり「自分の命を引き受けること」について考えている。如何なる生き方をしていたら、命が運ばれていく人生を引き受けていることになるのか、わからないのである。 遡ること、大体一か月前のこと。「ひとは《その》ように生きる事しかできない。」と、お言葉をいただいた。人生と私と《その》とが、どのくらいの位置関係にあるのか未だ分からないでいる。命が運ばれていくままに生きる事しかできない、ということであるのか。それとも、運ばれていくままの人生、自分の意志による選択だけで

2021/6/21 「なんでもない日」

なんでもない日、なんにもない日、毎日がどれも大切でどれも特別で素敵な日です。なんて言えません。 何にもない日は、ゆったりとしていて楽だなと思えたり、好きな動画を何時間もぶっ通しで観られたりと癒されることもたくさんありますが、その反面。何で生きてるんだろうなとか、これからあと60年もこうやって生きていくのかとか考えてしまう日でもあるのです。 どっちに転ぶのかはその日になってみないと分からないけど。こういう時は素敵な日だとは思えません。疲れてしまうし、しんどいから。 金閣寺

2021/6/14 「感覚と経験と知識、そして共有」

いつの日かドライアイスを触った時の感覚、今日ドライアイスを触った時の感覚、明日ドライアイスを触った時の感覚。これらは完全一致せず、ずれを持って重なっていき、経験となる。 しかし、知識とは何であるか。知識とは、それぞれの感覚がずれながらも経験として重なっていった先に現れる、すべてが重なりえたところの一部分だと考えられる。「若干痛い」「ちょっと痛い」「すっごく痛い」が重なっていった時の、「痛い」に当たる感覚が知識となる筈である。つまり、どの感覚もが持ち合わせていた部分が知識とな

2021/6/13 「上の者」

守るとか幸せにするとか助けるとか、簡単に使わない方がいいだろう。それは決して、言葉にすると安っぽく聞こえるからとかいうものではない。(これは言う、言わないの問題ではなく、どのくらいの思いなしによって出来上がった思いなのか。という部分が重要だと考えられるからだ。思いなし度合いは、そこに費やした時間には必ずしも比例しないのではないだろうか。) 上の立場に上がるにつれてその数は減っていく筈だ。それなのに、少ない上の者が、倍どころではない数の下の者達を「守る」「幸せにする」「助ける

2021/6/11 「バラバラ」

バラバラにしたい。一個一個丁寧に、バラバラにしたいのだ。一語一句間違えないように音読するし、その後でもう一度、指先で文章を追いかけてノートに映していく。 二段階目の行いはまとめているわけではなく、感じようとしているのだと最近になって気が付いた。音読段階では声を通して文章を感じ、ここでは書く営みを通して、全体の世界観と、一語一句それぞれの持つ温度を感じようとしているわけだ。 正直とても愉しい。共感が得られるとは思わないが、それでも声を大にして伝えたくなった。とても愉しいのだ

2021/6/3 「汚れまみれ」

「作り物の世界で一瞬の本物を。」「僕らの作っているものはすべて作り物。」 あの世界は真実じゃない。作っている本人達も、占い師も、父も。みんなそうやって言っていた。「嘘を息のように吐き出してる。」こんな感じで言っていた人もいたなと、眠気覚ましのカフェラテを作っている時に思い出した。スプーンで泡を混ぜる。そろそろ冷たい飲み物にしたいと、それが最近の願望。 作り物の中に本物を。ってこれはすごく面白い。その一瞬があるらしい。私にはわからない。でも、その瞬間が好きだと言って、それを

2021/5/31 「叶えたい夢」

もし、自分が本当に夢を叶えたら。自分のやりたいことをやれるようになったら。誰か涙を流してくれるような人は目の前にいるのだろうか。ふとそんなことを考えてしまったわけである。そんな暇はないというのに。調子に乗ってしまっているのかもしれない。 これだけやってきて、やっと夢が叶うという時に、自分以外の人が一人も喜んでくれないかもしれないという光景を想像すると悲しくなった。想像できてしまったことが何より私を苦しめた。 もし本当に、つくることができて名前が載ることになって、本当にそれ

2021/5/27 「人生とは舞台」

水を汲みに来るお客さんの姿が映る。コップを探していたけれど、見つけたみたいだ。自分の分と友人の分。あ、注ぎ口もう少しちゃんと閉めて。と心で伝えてみる。あ、後で、閉めに行こう、と心に刻む。 カップルで来たお客さんが席移動の希望をお願いしてくる。もちろん、オッケーである。お二人のために、と思い、流し入れた生地はいつの間にかきつね以上の色になっていた。まぁ、大丈夫だろうと思いながらも若干の不安を抱えたが、上からかけていくメイプルシロップにいつも以上の愛を込めて上書きすることにし